Commencement Day

天気は快晴、気温は高すぎず、とこれ以上ない完璧な気候であった。朝7時から集合写真撮影のためにケネディに集合し、お互いのガウン姿を笑い合いながらYardへ行進。雨天決行という全学でのセレモニーも晴れやかで、厳粛な雰囲気ではないながらも各種の儀式的なプロセス(Sheriffによる開会と閉会の宣言、ラテン語スピーチ等)には伝統を感じてなかなか興味深いものがあった。
自分達のスクールが呼ばれた際には各スクールを象徴するアイテムを掲げる(場合によっては投げる)習慣があるのだが、ロースクールの槌、ビジネススクールの1ドル札(藁)に対して我らがケネディ・スクールは「地球」を掲げる。他愛のない習慣だとは思うが、結構盛り上がるし気分の良いものだ。手に持った式次第に木漏れ日がまだらの淡い影を落として揺れているのを眺めながらしみじみと何とも言えない満足感に浸った。
セレモニー自体は一時間半くらいで終了し、すぐに各スクールに移動。ケネディ裏の公園にしつらえられた特設会場に整列して(といっても名前順に並んでテキトーに歩くだけ)入場し、一人一人がDiplomaをもらってDeanと握手する。親戚一同押しかけてきているような学生の名前が呼ばれると(特にラテン系)後方の家族席から喝采がわき起こる。全員がDiplomaを受け取ると間もなくケネディでのセレモニーも終了、家族と落ち合ってランチを食べる。父と妻と喜実子と記念撮影。ランチ後は再びYardでビル・ゲイツの記念スピーチがあったので一応見に行ったが、彼のような人が貧困の問題にコミットするのは重要なことだと思う一方、内容自体は自分のような専門の人間にとっては目新しいことはなく、むしろ「Inequality」を連発するフィランソロピスト化したゲイツを目の当たりにして少々違和感を感じたというところか。
この歳になって誰でも修了できるプロフェッショナルスクールの修士号を取ったからといって何だという話でもないので、Commencement自体の感慨というのは大したことはない。しかし、これまで自分が経験した東大の卒業式・修了式と違うのは、多くのメンバーが就職後も東京近辺、少なくとも日本国内にはいて、GWやお盆前後、年末年始ともなれば飲み会でもやって顔を合わせられる東大の同級生に対して、ケネディのクラスメート達は文字通り世界中に散っていくことになるから、この先何年も、場合によっては何十年も、ひょっとするともう一生、会えないかもしれないということだ。
Commencementの翌日から皆次々と引っ越しを始める。晴れやかな気持ちの一方で辛い別れが続く週となる。自分の荷造りも始めなければ。