BSOコンサート:ショスタコビッチ&「英雄」

都合10回近く演奏会に行ったボストンシンフォニーともしばしのお別れである。本当はデュトワアルゲリッチも聴きたかった、ブレンデルも聴きたかった、プレヴィン=ムターも気になっていた、エメールのバルトークP協も行くべきだった、等々言い出せばきりがないのだが、非常に充実したクラシックライフをもたらしてくれたBSOにはあらためて感謝である。

さて、シーズン最後のプログラムはハイティンク指揮でショスタコビッチのヴァイオリン協奏曲1番とベートーヴェンの「英雄」、ヴァイオリンは22歳の若手セルゲイ・ハチャトゥリアンアルメニア人だがあのハチャトゥリアンとは無関係とのこと)という曲目。

まずショスタコビッチのV協。予備知識なしだったもので、まず楽器編成から戸惑う。おろ?ショスタコなのにトランペットもトロンボーンもないんだ・・・。結論から言うとハチャトゥリアンには度肝を抜かれたのであるが、総合評価をどう下せばいいのか。何せ演奏は完璧。これまでに生で聴いたどのヴァイオリニストよりも技巧的には恐らく上手い。つまりクレーメルやシャハムよりも上手く、「無謬」という言葉がふさわしい。
それで、第2〜第4楽章、特に第3楽章のカデンツァ以降は本当に圧巻だったのだが、問題は第1楽章のあまりものつまらなさで、これをどう解釈していいのかわからない。曲のせいなのかハチャトゥリアンのせいなのか。弱音部でもブレることのない音色、高音部でも全く粗くならない音の粒、全くスキはないのであるが、「So What?」と言いたくなる解釈。上手いけど存在感が希薄というか、シャハムみたいに聴いた瞬間にパーッと視界が開けるような華がない。しかしとにかく抜群に上手いので、つまんねーなーの後に超絶技巧を見せられて圧倒されて終わる演奏という感じなのだ。言ってみれば、シャハムを聴いた後は「楽しかったよ!ありがとう〜!」と手でも振りたくなる気分になるところ、ハチャトゥリアンのは「ははぁ〜っ、聴かせて頂きましたっ(礼)」という気分。ここは好みの問題だろうが・・・。しかし滅多に聴けないレベルの演奏だったことは確かで今後の注目株だろう。
ちなみに人格的には問題がありそうで、ハイティンクコンマスと握手する姿も、「まあボクよりヴァイオリン上手く弾ける人間はこの世にいないと思いますけどね」オーラが出まくっていた。日本音楽協会から貸与のストラディヴァリウスももっと大切に扱いなさい。

次はお楽しみの「英雄」。なにせbroadmindが普段聴く「英雄」はフルトヴェングラーで、ブライトクランク(藁)なので、演奏のみならず音質・音色のベースラインからして偏っている。このため、最初の和音からしてちょっとビックリした。あ、本当はこういう音に聞こえるんだ、と(笑)。しかしあのゴリゴリのショスタコの後だと、何だか「英雄」といえどもバロックでも聴いているようなリラックスムードになってしまう。「第九」では許し難いと書いた軽い演奏は曲が「英雄」になり指揮者がハイティンクになっても基本路線は同じだが、英雄の方が遥かに合っている。重厚さと熱狂のフルヴェンも大好きだが、しっかり吹きながらも軽い音色で通す金管には新たな「英雄」の一面を見せられた。レヴァインtheハンプティ・ダンプティよりも一回り以上年上のハイティンクだがむしろレヴァインより若々しく(少なくとも立ったまま指揮してるし(笑))軽い演奏といえどもグリップはしっかりしていて統率力はまだまだ健在。この安定感はショスタコの方でも印象に残った。
しかし、CDの場合はいつも通しで聴かないので(おいおい)あまり気にならないのだが、この曲ってそれぞれの楽章は傑作だけど構成的には失敗していると思う。音楽史的な価値は知らんが、あの終楽章はありえない。いつも「この変奏曲はこれでいいけどサ、第5楽章もこの次にあるんだろうな?」というツッコミを入れたくなるのだ。あのいつになったら終わるんだかわからない「運命」の終楽章といい、ベートーヴェンの終楽章はダメダメなのが多いというのがbroadmindの偏見で、交響曲でいうと七番に至ってようやく満足すべき終楽章が書けていると思う。

しかしマニラに行ったら生クラシックを聴く機会はなかなかないだろうなぁ。