政治テロ

どれだけ自由な社会が実現しても、どれだけの経済的繁栄を達成しても、政治テロの種というのは尽きない。しかし、76年生まれのbroadmindの感覚でいうと、物心ついた頃には極左のテロ活動も下火になっており、赤報隊事件、本島長崎市長暗殺未遂事件、國松警察庁長官暗殺未遂事件といった散発的な事件はあったものの、全体的に政治テロの少ない時代に生まれ育ったといって問題ないだろう。
しかし、ここ数年、石井紘基暗殺事件あたりからまた政治テロへの敷居が低くなってきたのかなと感じる。どんな文脈であっても暴力による言論封殺は許されることではないが、選挙期間中の現職市長の暗殺などは論外中の論外で、社会に対する重大な挑戦である。気になるのはこうしたテロ事件が生じた際の社会の「空気」のようなもので、現時点では背後関係等は不明ながら、その有無に関わらずこうした政治テロがどれだけ深刻なものかという切迫感が今一つ感じられないことである。そうした「空気」は次の政治テロの温床となる。政治テロへの鈍感さこそ、平和ボケの深刻な一形態といえよう。