Metheny/Mehldau

後藤雅洋の本に「ハービー・ハンコックが好きだ」というくだりがある。パット・メセニーと共演した西海岸でのコンサート(恐らくもう20年近く前のことだろう)での話で、演奏者紹介で「白人・若手」のメセニーの方がジャズマンとしては格上のはずの自分よりも大きな拍手で迎えられたことにハンコックが「ハハァ」という表情を一瞬見せたので、彼が演奏で聴衆にアピールしようと頑張りすぎてしまうのではないかと心配したところが、いざ演奏が始まってみると、「自分より年下の、しかも完全に子供扱いするわけにもいかない微妙な間柄」のメセニーにしっかり丁寧に音を合わせていて、無駄なライバル心など出さずに音楽そのものを大切にする男だとハンコックに好感を持ったという趣旨のエピソードである。

さて、今回のこのCDメセニー・メルドーパット・メセニーブラッド・メルドー。もちろんメセニーは今や押しも押されぬ大御所であるが、今度はメセニーの方が「自分より年下の、しかも完全に子供扱いするわけにもいかない微妙な間柄」のメルドーと対峙することになる。とはいえ、スタジオ録音だし、キャラとしてもメセニーもまた、ハンコック同様に大人な対応をするに決まっている・・・はずなのだが、これがなかなかどうして、見えない火花を感じるスリリングな演奏となっている。そして、それは間違いなく良い方向に出ている。

broadmindがメセニーを聴いているのはここ10年ちょいなので、大昔からのメセニーファンを名乗ることはできない。いきおい、自分にとってのメセニーのサウンドパット・メセニー・グループ(PMG)のものに引きずられることになる。そういう前提で話をするが、「あ、PMGと違う」というのがまず聴いて感じることだ。これは単にデュエットという編成の問題ではなくて、メルドー・トリオも加わったトラック4、7のサウンドもPMGのそれとは方向性が明確に異なり、本作はメセニーがメルドーを迎えるというよりも、むしろメルドージャズのフォーマットでメセニーを客演に迎えたという印象を強く受ける演奏だ。

逆に言うと、メルドー恐るべし、なのである。古くからのコアなメセニーファンがどう思うのかはわからないが、PMG慣れしているbroadmindにとっては、叙情的ながらも王道ジャズのメルドーがすっかりフュージョン界の住人になっているメセニーを「こっちで演ろうぜ」と「ジャズマン」として呼び戻しているような感じがするのだ。それに「あっそう?いいよ、じゃあそうしようか」という感じで応えて(飲み屋でニコニコしながら半ギレになっている某助教授みたいなふいんきだなw)メセニーがジャズの土俵でがっぷり四つに組んだ本作。面白くなかろうはずはない。

ただ、メルドー自作曲(1、5、9、特に5と9)の方はメルドーの耽美的な面が前に出過ぎていてメセニーサウンドとの馴染み具合がイマイチ。「メセニーの曲、メルドー主導での演奏」となっているトラックの方が明らかにデキがいい。例えば、メセニー節が展開する中、やや趣を異にするメルドーの世界が巧みなバッキングで溶け込んで独特の色彩感に溢れる最後のトラック10は名曲。PMGっぽいサウンドからスタートするものの、独創性溢れるコードを押さえる(それだけで存在感抜群)メルドーをバックにメセニーのソロが疾走する4も気持ちいい。メルドーの例の「左右別人格」ソロも堪能できる。

とにかく、前衛感も黒さも全くないけど、ジャズでもまだまだ面白いことができるんだなぁ、と二人のコラボに感服。この企画、是非続けて欲しい。