エリック・ハイドシェックこの一枚

学期もほぼ終了し余裕が出て来たのでヲタな話題で攻めることにする。
競馬ファンであれば柏木集保に、サッカーファンであればセルジオ越後にあれこれ言いたいことがあるのと同様に、「宇野功芳には一言いっておきたい」というのがクラシックファンのほぼ一致した見解であろう。中でも、宇野のエリック・ハイドシェック賛美についてはかなり異論が噴出し、90年代前半の(日本のごく一部での)ブームもどこへやら、すっかり日本でもまた影が薄くなってしまった。
しかし、broadmindはハイドシェックの再発掘(彼が音楽界から消えかかったのが果たして宇野の言う通りバレンボイムの「ユダヤの魔の手」が伸びてきたからであるかどうかは別として)は宇野の大きな功績ではないかと思っている。おいおい、なんて無謀なエントリなんだと思ったそこのあなた、一応最後まで話を聞きなさい。
なぜ急にハイドシェックなんて言い出したかというと、xedos氏がゼルキンの皇帝について触れたエントリで好きなピアニストとしてケンプの名前を挙げているのを見かけ、あーケンプのCDは全然持ってないけど、彼の弟子(ということになっている)ハイドシェック「師ウィルヘルム・ケンプに捧ぐ」は持っているなぁと思い出したからである。で、超久々にこのCDを引っ張り出して聴いてみたのであるが、あらためて聴いてみるとなかなかひどいね、これはwww。ベートーヴェンの30番なんかかなり好き勝手に弾いてる上にミスりまくっていて、10数年前はこんなものありがたがって聴いていたのかと思うと情けなくなる。
で、おいおい、ハイドシェック擁護するんじゃなかったのかよという話になるのだが、オチはもうちょい後。ちなみに真面目な話、例の「宇和島ライブ」も今では散々の言われようだが、2年くらい前に久々に聴いたときは「テンペスト」はやはり好演だと思った。しかし、そのCDは日本に置いてきてしまったため現在も同じ印象を受けるかどうか目下確認できないので、「宇和島ライブ再評価」というオチでもない。
ハイドシェックについてあらためて考えてみるに、彼は天才でもなければ努力の人でもなく、言ってみれば「センス」の塊である。件のバレンボイム云々の話にいくばくかも真実でも含まれているとすれば彼の音楽家人生が非常に恵まれているとは言い難いが、そうは言っても質の高いシャンパンで知られるHeidsieck家の御曹司*1で、コンサートでもいつもタイではなくスカーフを巻いている洒落者、要は人生をエンジョイしている御仁で、別に演奏の機会が減ったからといって深刻になる必要はないし、ルービンシュタインのように一念発起して練習に打ち込むほどの甲斐性があるわけでもない。かなり才能はあるが、技巧はそこそこ、鬼気迫る演奏をするというわけでもなく、「オサレに好きなように弾いちゃうから、聴きたい人だけ聴いてね。盛り上がってくれたら僕も頑張ってサービスしちゃう」(ハイドシェックはコンサートで調子に乗ると何曲でもアンコールを弾くことで知られている)という、プロフェッショナリズムには縁遠い、やたらと才能に恵まれちゃったボンボンがアマチュアの趣味+アルファでやっているようなピアニストなのである。
ただ、上に挙げた「ケンプに捧ぐ」でも一番良いのはドビュッシーだと思うし、一般的に評価が高いCDもフォーレ夜想曲とかだし、要するに特にフランスものでツボに嵌るとその生来のセンスとフランス人らしいエスプリとを発揮し、この上なく楽しくて美しい演奏を披露する。
そこでだ。「フランスもの」「好き勝手」「エスプリ」というハイドシェックの魅力が凝縮されたbroadmind強力推薦のこの一枚。いよいよオチです。その彼の「センス」が遺憾なく発揮されているのが「ラ・マルセイエーズの主題による変奏曲」である。前フリが長くてすいませんね。ここまで内容を理解して読み進めてくれそうな読者は二名ほどしかいないんですが。はい。
しかしこのCDは凄い。言わずと知れたフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」のテーマを使って、まずベートーヴェン風に主題の提示。そしてモーツァルト風の第一変奏・・・と以下各作曲家/時代風に18の変奏曲が続くというハイドシェックの自作自演(字義通りの)なのだが、これがまたそれぞれの作曲家の特徴を捉えていて、しかもマルセイエーズのテーマの扱い方も上手い。ご自慢の作品の貴重な録音機会ということで張り切ったか、演奏の方もなかなかの熱の入りよう(ライナーノートによると、彼は自分のコンサートの演目にしばしばこの曲を入れたがって関係者を困らせていたらしい)。前半最後の「ウェーバー風」に至るとそのセンスと演奏に笑いながら感心しながら感動。「弾く専」のピアニストとわけのわからないゲソオソ作曲家が跋扈する現代にあって恥ずかしげもなくこんなパロディー大作を作曲して演奏したがるピアニスト、他にはいない。そもそも彼は即興演奏も得意で、この曲自体、果たして決まった楽譜なるものが存在するのかどうかも定かではない。その出自といい、才能といいスタイルといい、まるで19世紀からひょっこり飛び出してきたような独特のピアニスト、ハイドシェックの類まれなる「センス」が存分に堪能できる作品となっている。
まああれだ、キワモノCDであることは全く否定しないが、他のどんなCDをもってしても代え難い作品であることは間違いなく、現在では残念ながら入手困難だろうが、「ハイドシェックでこれ一枚」と言われたらbroadmindは迷わずこれを挙げる。ネタにして本気。ついでに言えば、宇野功芳ハイドシェックを持ち上げてくれなかったら、このCDがテイチク(嗚呼!)から発売されることもなかったであろうわけで、あらためてこれは宇野の功績だという意味でも讃えておきたい。

*1:Heidsieck:シャンパン銘柄としては通常はフランス語読みでエドシックと発音。本題から外れてヲタ話をすると、エドシックという名前を持つシャンパン銘柄はいくつかある(いずれも元々は同じ一族らしい)が、日本でもよく見かけるのは本家(?)のパイパー・エドシック。ハイドシェックの一族はシャルル・エドシックの方だが、もし自分の思い入れのせいでなければ一度だけ某所で飲んだシャルル・エドシックの方が美味しかった。少なくともMoetあたりとは比べものにならないくらい美味しい。broadmindはドンペリを何度も飲んだことがあるような身分ではないのでシャンパン全体での位置付けまではよくわからんが・・・