KK時代最終幕

broadmindの世代にとって、高校野球といえばKK。好きか嫌いかを問わず、桑田清原を擁するPL学園は、80年代前半の甲子園の象徴だった。伊野商の奇跡に興奮したセンバツ、応援していた宇部商が接戦の末サヨナラ負けして大泣きした夏の決勝。小学生時代の夏休みの思い出は(プールが当時大嫌いだったこともあり)PL学園とKKコンビに強烈に彩られている。
当時はもちろん、その後のプロ生活を含めても、清原の方が圧倒的に好きだった。そもそも西武ファンだったし。見た目キモく、マウンド上で独り言、果ては巨人入り(笑)の桑田に対し、期待に反して西武入り、豪放ながら日本シリーズで涙の清原。オールスターのKK対決で清原がホームランを打ったときは狂喜したものだ。しかし、一つだけ間違いなかったことは、子供心にも桑田の方が受け答えが大人だなぁと思ったこと。「うりゃ、おりゃ」系の清原と、落ち着いて理路整然とした桑田のマスコミ対応は当時から対照的だった。恐らく大人の目からすれば桑田は「かわいげがない」ほどではなかったかと思う。
そしてそれから20年ほどが経過した。いよいよ二人ともプロ野球選手としての現役生活の終わりを迎えつつある。強烈に思い入れのある、ある時代がいよいよ終わりを告げるというまごうことなき実感。それはそうなのだが、しかし、今のこの二人をどういう風に見ればいいのか、broadmindには実はよくわからない。あれほどこだわった巨人を去ることになった清原は、相変わらずのガラの悪さながらも「拾ってくれた仰木さんに恩返しや」などと殊勝なことを言っている。対する桑田は、そのキャリアの最後になって後足で砂をかけるようにして巨人を飛び出し、この期に及んで大リーグに挑戦すると言っている。それが不満だとか不甲斐ないとか今さら何だとか、そういう類の話がしたいのではない。何か今のこの二人の様子を見て、考えれば考えるほど説明不明の涙が出てきて、うまく総括できないのである。
プロ野球という特殊な世界と異なり、自分の社会人としてのキャリアはまだまだこれからではあるが(と信じてる!)、そうは言っても自分も30歳を迎えて、夢を追うことの限界とか、後戻りのできない選択とか、そういうものに直面するようになったことは間違いない。「ロケットボーイ」的な感覚といえばいいのか、「一体、現役生活の最後に、彼らはどういう形で納得感を得ようとしているのか」ということを想像すればするほど切なくなる。満身創痍の体でバットを振り続ける清原。報道によれば、桑田は代理人すら立てずに自ら大リーグ球団と交渉しているという。二人とも(特に桑田は)自分が何をしているのか百も承知で、そういう選択をしているのである。凄いことだと思う。
いや、「凄いことだと思う」というような稚拙な表現しか出てこないということが、とりもなおさず自分の中で総括できていない証拠なのだが、とにかく、KKの人間的成長(と言ってしまって良いと思う)の行き着く先にこのような最終幕が待っていたということ自体、ちょっとした文学作品では得られないような不思議な感動をもたらしていると思う。いかん。また涙が出て来た。