一時帰国総括

解散したし、俺も総括しとくか。
一時帰国は慌ただしかったけど、なかなかに充実しておりました。特に、20年ぶりとなる友達を含む、小学校の同級生と会えたのはすごく楽しかった。
5年も10年も帰っていないわけではないから、帰国しても「変わらないなー」と確認することの方が遥かに多いのだけど、いくつか「変化」を感じたことを備忘録的に。


何せ普段NHKワールドしか見てないだけに、日本でテレビ(特に民放)を見てると、時々ギョッとすることがあった。なにって、CMになった瞬間、「あれ、今CS見てたんだっけ?」と思うことしばしば。そう思うほど、マイナーな企業、あるいはチープな作りのCMが多いし、そもそも弁護士事務所とか、こんな業界がCM打つようになってるのかという変化も感じる。テレビの没落、というのは諸々のメディア経由で聞いてはいたけど、キー局がこんなしょぼいスポンサーのしょーもないCMを流してるのかーというのはなかなかに衝撃的な事実ですた。


それと、コンビニでマンガ雑誌を久々に立ち読みしたが・・・まず立ち読み可能なコンビニが減っている、というのも悲しい変化なのだがw、どうも暗いというか、ダークというか(意味おんなじだけど)、後ろ向きなストーリーor空気のマンガが増えているように思えた。別に明るいストーリーのマンガが多い必要性はないのだけど、やはりマンガも一種の表現媒体であることを考えると、こういう状況も社会の閉塞感を表しているのかなぁと。例えば古谷実の作風に象徴されてると思うけど、「ヒミズ」あたりではまだ、「等身大的な若者の中に潜む病理」という(表現方法はともかく、テーマ自体はむしろ普遍的とも思える)地点だったのが、最新作では等身大的な部分が消えてしまい、単に病理の部分が独り歩きして最初から壊れてる人間が蠢いている物語になってしまっている印象を受ける。「闇金ウシジマくん」なんかが描く世界もそう。それ自体は日本に以前から存在していた現実ではあるのだろうけど、似たようなテーマを描いていても「ナニワ金融道」にはあった「実態としては悲惨なんだけど何だか笑えてしまう」コミカルさが消えて、出口のない閉塞感だけが突出している感じ。うまく言えないんだが、「自分もこうなってしまうかも」という等身大の恐怖とコミカルさがセットになっていたのがナニワ金融道だとしたら、「堕ちてもこうだけはなりたくない、なるはずない」という嘲笑と救いの無さがセットになっているのがウシジマとでも説明すればいいんだろうか。
とにかく、ここに挙げた同時代ものに限らず、仮想世界を描いたものも含めて気持ちの悪いマンガが増えたのは間違いないと思う。みんながヘラヘラしていたバブル期だったらむしろこういう作風は歓迎したかもしれないが、日本の閉塞感、なんて今さら誰が言わなくてもみんな感じているわけで、そういう中であっさりとこうした「出口のない」世界を描くマンガが増えているような気がして非常に気持ちが悪くなったわけだ。マンガくらい、下を見るより上を見ようよ。そんなこと言ってもしょうがないんだけど。


あと、なんか外人(あえてこの語を使う)増えたよね?地区によって民族構成は大きく異なるけどw、とりあえずどこに行っても誰かしらいる。東京も国際的になったんだねー(特にすごく「良いこと」だとも「悪いこと」だとも思っているわけではなく、あくまでも単に変化したという事実関係に対する感慨)。でも、大塚駅前でサイエントロジーの勧誘をしてた外人はいなくなったな。代わりに幸福実現党がいるぞ。外人じゃないけど(多分)。幸福実現党は、那須に行ったときも塩原の駅からホテルまでの道沿いにずーーーっと大川きょう子の看板が出ていて、カンボジアで各村に人民党の看板が出ている組織力を見たとき以上の衝撃だった。