カップ麺の茹で時間

先週末、昼食の蕎麦を茹でながら硬めに茹で上げるためにやや短めにしようと茹で時間を計っていたところ、以前、カップ麺を作っている時に「そんなのわざわざ正確に計るなんて、面白いね」と友人に言われたことを急に思い出した。ずいぶん昔の話だ。まあ、実際問題としてカップ麺を食べるときにいちいち時間を計らない人は多いだろうし、友人も悪気があって言ったわけではないだろうから、その場は流しておいたことを覚えている。しかし、正直に言って少々気分を害したことは確かだ。言っておくが、broadmindは全く几帳面な方ではない。だから、「なんでもキチっとやる人間だから、カップ麺を作るときも時間を計らないと気が済まない、というわけではない。
新しいカップ麺を開発する際は、メーカーでは味も麺も色々なパターンを試しているはずだ。また試作品を試食する際も、麺の揚げ方などに対応して、「お湯を入れてからどれくらいの時間で食べるのが一番美味しいか」という点もかなり細かく試食して検証しているはずだ。したがって、商品に「3分」と書いてあったとしたら、それは2分半でもなく3分半でもなく、3分後に食べるのが一番美味しい、という検証を踏まえたメーカーからのおすすめなのである。
もちろん、ここには好みやら水の質やらの問題も入るし、例えば「2分45秒」などという指定があったらちょっと常軌を逸している感じを受けるので、せいぜい30秒単位程度の話で、「3分ジャスト」にそこまで固執する必要はない。しかし、茹でながら自分でアルデンテを確認できるパスタやうどんと異なり、カップ麺はお湯を入れてフタをしたら一発勝負に近い。だからメーカー側の推奨時間は非常に重要な情報となる。それに、「時間を計らない」タイプの人は、「2分30秒でも3分30秒でも同じでしょ」とわずかな誤差を口では言いながら、実際には5分も6分も放置してから食べている人が多いように思うのである。いくら何でも、それほど乖離していたら麺はヤワヤワになって美味しくなくなってしまう。
つまり、たかが100何十円のカップ麺でも、折角食べるからには良いコンディションのものを食べたい。まずそういう意識があるし、またそれ以上にそういうカップ麺の開発にもメーカー側の色々な思いが込められているということを一消費者として尊重したい気持ちになるのである。これは誇張でも何でもなく、「2分半でも3分半でもなく、3分」ということは、例えば安藤百福のような人は確実に、そして真剣に、考えていたはずだ。恐らく彼が開発の一線を離れた後でも、日清食品ではそういう検証が徹底して求められていたと思う。ソニートヨタばかりでなく食品産業も同じこと、そういう情熱、そういうこだわりが今の日本を築いてきたんじゃないか。そういう作り手の気持ちを考えると、「時間を計るくらいの手間は惜しまずに、美味しくカップ麺を頂こう」とどうしても考えてしまうのだ。
言ってみれば、これは「農家の人たちの苦労を思えば、お米を残してはいけない」という思想の延長線上にある発想だ。「お米を残してはいけない」という思想の中には「もったいない」ということにプラスして、消費者として商品に接する姿勢というものも込められていると思う。商品や生産者に対する敬意のようなものだ。さすがにこの消費社会の中でありとあらゆる商品に対してそこまでの対応はできないかもしれないが、いきおい自分の好きなジャンルが優先になる。それが自分の場合はたまたまカップ麺(がその一つ)だったということだ。だから、いくら悪気はないにしても、それを笑われるとちょっと気色ばんでしまうわけなのだ。「3分って書いてあるのにはちゃんとした理由があるんじゃ!」と。