国籍差別はないが・・・

千秋楽の白鵬朝青龍戦はなかなか力の入った一番となった。しかし、「宿命の対決」的な取り上げられ方はしても、横綱対決が「外国出身同士」であることにこれほど違和感を感じないとはちょっと驚きだ。ハワイ勢対決ではとてもここまでの盛り上がりは見なかったわけで、ブルガリア人やらグルジア人やらエストニア人やらロシア人やらゴロゴロいるし、小錦時代なんかに比べると隔世の感がある。
しかし、このモンゴル両横綱対決がハワイ勢対決よりも盛り上がるのは、本当に大相撲(や見ている我々)の国際化が進んだからなのかというと、そういうことではない気もする。ちょっと想像してみるに、今現在ハワイ勢対決があったとしても、やっぱり今回ほどは盛り上がらないのではないか、と。でもガイジン対決はガイジン対決なのに、何が違うんだぁ?と考えると、白鵬朝青龍の図と比べるに、結局モンゴル勢は「見た目が日本人に近い」ことと「四つ相撲」であることが挙げられるだろう(モンゴル出身でも第一世代の旭鷲山なんかはかなり「土俵のない相撲」出身であることが顕著だったが、朝青龍以降の面々は日本の相撲に適応してるよね)。
ではまず、日本人に似てれば何でもいいのか?という点について考えてみよう。モンゴル人は見た目が日本人に酷似している上に外国人としてpolitically correctだという稀有な立ち位置にある。じゃあ、韓国人や中国人の横綱対決になったらどうだろうか?まあ確実にある種の筋からは反発が出るだろうな、これは。しかし、逆に言えば「ある種の筋」以外からはそんなに反発は出ないというか、意外に普通に盛り上がるのではないかという気もする。
次に、politically correctだがモンゴルよりさらに日本から離れた例として、日系ブラジル人の星天存(ほしあまぞん)とか、見た目日本人まんまのカザフ人明日棚とかを考えてみよう。彼らが横審の嘆くような邪道相撲で横綱に昇進したとしたらどうか?やや盛り上がりに欠ける気もするが、一方で千代大海横綱になるのとそれほど変わらないような・・・。(押し相撲=邪道では決してないけど、おっつけを伴わない突き押しってあまり相撲の正道っぽくないよね)
しかし反対側の究極の例として、コンゴ出身の琴金剛とか、ケニア出身の朝霧万とかの横綱対決になったら、例え彼らが小城ノ花級の模範的四つ相撲を取ったとしても、やっぱり盛り上がらないんだろうなぁ。どんなドラマを想定しても白鵬朝青龍級に盛り上がりそうな図が想像できない。残念ながら。
そう考えると、小錦や曙や武蔵丸には非常に申し訳ないが、結局日本人と見た目が変わらないということが全てのポイントということになるのか。国籍差別は撤廃されつつあるが、人種差別は残る。こういう感覚的なものはいかんともしがたいな。