名前

自分の名前はちょっと変わっている(苗字はもっと変わってるけどwww)。なかなか一発で正しく読まれるということはない。実はさる高名な先生のことを尊敬していた父がその名前を(勝手に)頂戴して付けたのだが、その分野では大家である彼も一般に広く知られているとは言い難く、まあ自分の名前を見て由来がすぐわかる人には滅多に会わないのだが、最近その珍しいことが起きた。
先日、ある先輩の日本人女性にちょっとメールを送る用事があり、その際メールの最後に「珍しいのですが日本語だと名前はこう書きます」と書き添えた。これは現在の職場が国際機関であるため、日本人同士のメールも英語だったり日本語だったりするのだが、自分のような珍名さんの場合、英語で(音だけで)名前を覚えられてしまうと後になって漢字で名前を見ても思いもよらずにビックリ、というようなことがままあるので単純に漢字の名前も覚えてもらおうかと思って書いたのである。そうしたら彼女からすぐに短い返信が届いた。何だろうと思ってメールを開くと、曰く「きれいなお名前ですね。私は美術に興味があって○○先生のファンなので、お名前に親しみを感じます」。
おぉー。
もひとつおおぉ〜〜。
これはもう、なんというか一発で完全にKO。やられたというか、こうなるともうベタ惚れである(いや、彼女は既婚者でお子様もいらっしゃいますが。というか、自分も既婚者で子供もおりますがwww)
30チョイ年生きてきたが、たったこれだけの文章で自分をKOする女性にどれほど出会ってきただろうか(おいおい)。別に自分自身は美術史には全く明るくないのでそもそも偉そうなことを言う筋合いは全くないものの、その業界の方以外で、しかも自分とそう離れていない世代でこの名前がすぐにわかるというだけでもあまり無いことなのだが、もしこれが知ったか君の自分だったら、仮に「ピン」ときたら、得意気に「ひょっとしてそのお名前は〜」とか書き始めてしまうところだと思う。彼女は非常に多忙だというのに、メールの最後に書いた一言に対して「きれいなお名前ですね」から入る返信が書ける余裕があるのだ。この姿勢にはとにかく脱帽である。 しかも「ファン」ときたもんだ。ファンというのは「鉄道ファン」の「ファン」ですよ(意味不明)。「美術史の○○氏なら、知ってますよ」とか言われても、「あーそうかい。そりゃあよくご存知で偉いねぇ」とちょっと突き放したくなる(自分のことを棚に上げてwww)ところ、「ファン」という言葉には何か無邪気でこちらの警戒心を解くような(英語でいうところの「disarming」)魔力がある。
「きれいなお名前ですね。私は○○先生のファンなので、お名前に親しみを感じます」。いや、何をアツく語っているのか自分でもよくわからんが、とにかくこれだけの短い文章に彼女の人間的魅力が詰まっているということだ。彼女は仕事でもとても優秀で、しかも仕事以外にも自分の世界をもっているからこそ上の発言も自然と出てきたわけで、奥行きのある素敵な女性だと思う。実は彼女は明日から中国オフィスに転勤となる。ご家族の近くで、更なるご活躍を期待しております。


ちなみに最後に全くの余談だが、父は最近になってこの大先生と直接にお会いする機会があり、名前を頂戴したことについて(事後)承諾をもらってきたそうだ。先生ご本人もその業績が抜きん出ているのみならず、人間的にも大変素晴らしい方として知られている。小さい頃は書道の時間に難儀して嫌になったこの名前だが、現在では我が父にしては超GJと思って非常に気に入っている次第。