年末年始

もう1月も15日になってしまったが、年末年始は東京で食べて飲んで寝て過ごした。結婚3年目にして初めて日本で過ごす年末となったが、今回は妻の実家で年を越した。大して正月らしいこともしないbroadmindの実家と違い、妻の実家では年末に川崎大師で新年のお札を予約しておき、元旦には正装とは言わないまでもキレイな服を着てご先祖様にもお社にもお参り(神仏両方というところがまた日本らしいけど)をして、家族と挨拶をしておせちを食べる。その他、結構色々な縁起をかつぐ文化がある。東京に住んで何世代かになってもそういう文化が残ってるなんて、やっぱり歴史のある家なのかなぁなんてぼんやり考えていたところ、義母が説明してくれたところでは、大正期には別に全然信心深い家でも何でもなかったところ、妻の曾祖父にあたる方が戦前にヨーロッパやらアフガニスタンやらジャワやらを飛び回っていて、その海外暮らしの経験から日本の伝統文化や風習を大切にしなければならないという思いに至ったところからこの「家族文化」はスタートしているそうだ。
このエピソードは二つの意味で自分にとって非常に興味深かった。まず、海外暮らしなどありふれたものになった現在においても、海外暮らしが長くなるといきおい「日本」「日本人」「日本文化」について考える機会はどうしても多くなってくるわけで、世界を知って日本に回帰するという心情は自分にとっても非常に腑に落ちる。今よりも渡航も海外生活も遙かに困難な時代に先達がどのように考えて家の「伝統」を築くに至ったか、その苦労と誇りを思うと頭が下がる。もう一つは、そうは言ってもこの「伝統」らしきものがたかだかこの三世代くらいのもので、しかも海外暮らしがきっかけになっているということに多少の可笑しさも禁じ得ないということだ。先日東京でxedos氏と飲んだときに、「地域の伝統とか偉そうに言ったって、よくよく辿ってみればせいぜい数世代くらいの歴史しかないのに、そんなに後生大事に守らなきゃいけないものか」という話をちょうど聞いたところだったから余計にそう感じたのかもしれない。
まあこれを歴史が浅ければ守る必要はないみたいに考えてしまうと、突き詰めれば文化・慣習みたいなものは何も生まれないことになってしまうので単に相対化すればいいというものではないのだが、正直なところ特定の慣習を守っていくこと自体にはそれほどの積極的な意味もなかろうとも思う。例えば、「ら」を抜くとか抜かないとかいう文法の「正しさ」の話を聞くと、じゃあお前らは京大の文語文読解問題はすぐに解けるんだろうな、高々100年ちょっと前の「正しい文法」の問題だぞ、と思ってしまうわけだ(我ながらいかにもお受験戦士らしい例えだwww)。一方で、この家の純日本的な慣習の向こう側に戦前のジャワやアフガンが広がっていることを思うと、ある種の浪漫みたいなものが感じられて、曽祖父の「日本文化を大切にする」という基本的な気持ちは忖度して継承していきたい。「ら」なんか抜いたっていいと思うけれども、基本的な読み書きができるという意味での国語教育は極めて重要だし、そういう自分は泉鏡花の文章を愛してやまない人間なのだ。
そんなわけで、あまりご大層なものと身構えると肩透かしを食うけど、想像力を働かせると味わい深いものがある、そんな家族文化の中にお邪魔した年末年始であったといえよう。