from テレビ中毒 to ネット中毒

晦日雑感。一年総括でもなければ大した論理性もまとまりもないです。本当に雑感。
紅白云々、とかいうニュースを(ボストン時間)大晦日の午後に目にして思ったのだが、今でも31日=紅白という家庭が多いのだろうか。broadmindの実家は一年のうち364日間はNHKがついている時間が圧倒的に長いが紅白は見ない、という家だったので、「紅白」という葵の紋というかステータスが実感としてよくわからない。スノッブと言われればそれまでだが、歌番組が嫌いな家だったので仕方がない。小さい頃は「大晦日だよ!ドラえもん」で大晦日のテレビは糸冬。その後はサザン年越しライヴ(なぜ歌番組が嫌いなのにサザンはありなのか、というツッコミは不可)、東急ジルベスターコンサート等であった。
さて、それでこういう政治性の薄いネタならありかと思って久々にν速を覗いてみたのだが、「こんな演出にカネ使うくらいなら受信料払わないのも正当化される」みたいな書き込みが多くて想像以上の期待外れぶりだった。まあ政治性薄いっていってもNHKネタである限りはこんな流れなのかね。自分としては「受信料を払う気は満々だが、演出以前にそもそも紅白にそんな大金使って頂きたくない」という希望を持っているので、今さら紅白の演出の品性がなんだかんだ言われてもそれ自体関心がない。ま、極めて少数派だということは自覚しているが、そういう人がいると主張してみるのも意味のあることだろう。というわけで、紅白はどうでもいいのでNHKには2007年も是非ガンガッテ頂きたい。ま、今は受信料も払ってない立場ですけどね(爆)


それと気付いたのだが、海外にいる大きな利点の一つは、日本のテレビを見なくてすむことである。しかしその代わりにネット中毒になる。ただ日本にいるとテレビ中毒かつネット中毒になる可能性も高いのでそれよりはだいぶマシだ。元来がテレビっ子のbroadmindだが、結局のところテレビ好きというよりも情報ヲタなんだなということを実感する。テレビがなくても全然困らない、ということにこちらに来て気付いたが、ネットがないのは論外だ(但し一時帰国時にはやっぱり嬉々としてテレビを観るねw)。さらに、実はテレビがないこと以上に、中吊り広告が見られないことに不便していたりする。
テレビとネットを二項対立のような図式で見ること自体、おもいっきり時代遅れなのかもしれないが、コンテンツの作り手の経営戦略という視点からはともかくも、消費者の視点からは有限の時間をメディアコンテンツ消費のために配分することに変わりはないし、今の自分のように日本のテレビから断絶されていながらネットで情報収集は可能、という環境にあると、やはり補完的というよりも代替的であるような印象を新たにしている。
いずれにせよ、コンテンツを作る側がデジタル化とか多チャンネルとかいうのを有効に使いこなせないのであれば、テレビを見る時間というのは確実に減っていくんだろうなぁ。「あの年はまだ『紅白』の演出が話題になっていた」なんて思う日が来るのかもしれない。そう考えると、往年の年末年始特番が走馬燈のように頭を巡るのだが、アメリカの年越し番組もつまらないのでテレビをつけない大晦日