娘についての噺二題

①日本人の友人・知り合いに喜実子を見せると必ずと言っていいほどbroadmindに似ていると言われるのだが、日本人以外との集まりに連れて行くと過半数が「妻に似ている」という。中には「She doesn't look like you... Thank God」などという失礼な輩まで。この違いはどこから来るのかよくわからないがなかなか興味深い。日本では「子供は父親に似ていると言った方が無難」みたいな礼儀があるのかな?そんな話は聞いたことがないし、だいいち今自分の周りにいる日本人はリベラルな人ばかりだからそんなことで気を遣うとも思えないが・・・。逆にアメリカでは「娘は母親に似ているというのが通例」という文化でもあるのか?それもよくわからない。文化的な差異でないとすると、日本人とそれ以外で顔を認識・判別するポイントが違うのかもしれない。それもまた興味深いが、今のところいずれも作業仮説の域を出ない。
②喜実子の出生届を領事館まで出しに行った。本日の手続をもって、彼女は日本人になるための第一歩を踏み出した。不思議なことに、今のところ彼女はアメリカ人でしかなかったわけである。アメリカの病院で産まれると本当に手続は簡単で、あんなに面倒だったSSNも病院で出生届を書くだけで向こうからすぐに送ってくる。郵便局に行けばパスポートもすぐに取れるらしい。こりゃ、途上国の人がアメリカで子供を産みたがるのも当然だ。誰から最初に聞いたか忘れたが「アメリカ国籍・市民権に興味がないのは世界中で日本人とフランス人だけである」という話があって、個人的にかなりお気に入りでフランス人とアメリカの悪口で盛り上がったときにこの話をするとかなりウケる。
しかし、出産前はbroadmindも娘のアメリカ国籍などには微塵も興味がなかったが、産まれてみると実際のところオプションがあるのは大事なことだと思う。彼女が日本人として生きていってくれること、またそれが自然な環境であり続けるに越したことはないが、将来のことは誰にもわからない。まあ日本国政府よりも娘の人生の方が大事だ、親というのはそういうものだということに自分もなってみて初めて気が付いた次第である。