タイ情勢

皆さんは、「俺の友達の父親は○○なんだぞ!」という形式の自慢をしたことがありますか?
「俺の父親は○○なんだぞ!」というのも決して褒められたものではないが、「友達の父親」となると、鼻持ちならないとかいうのを通り越して何だか情けない。だから普通の人間はそういうことはしない。しかし、「俺の友達の父親は国連事務総長なんだぞ!」となるとどうか。ちょっと「大臣」とか「芸能人」とかいうのとは違う凄味、もしくは現実離れしたコント的な響きがある。「それがどうした!俺の友達の友達の父親はビンラディンなんだぞ!」と切り返せばいいんじゃないかみたいな。これはちょっと一度やってみたかった。broadmindはスノッブでありますから(笑


で、これがタイトルにどうつながるのかというと、ちょっと今回のクーデターでこの野望は遠のいたなという話なのである。実は現在のクラスメートには次期国連事務総長候補になっているタイのスラキアット前副首相の息子S君がいる。最初そんなことだとは全く知らなかった。「お金がもったいないから、自分で散髪した」と言って床屋代を節約してバーでベルギービールを飲むのに金を使っているクラスメートがそんな人間だとはまぁ普通思わないわな。そんで、彼がbroadmindの好きそうな人間であるということもすぐに得心してもらえると思う。それでLSE出身でBritish Englishを話す、かつ東南アジアノリの通じるタイ人となれば、自分が嫌いな人間であろうはずはない(笑
で、彼の父スラキアット氏はタクシン首相(もはや「前」首相と呼ぶべきか)の後押しで事務総長の座を狙っていたわけだが、この話は今回のクーデター騒ぎで無茶苦茶になってしまった。もっとも、タクシン政権の一部閣僚は身柄を拘束されているくらいなので、帰国したスラキアット氏が「国連事務総長候補として引き続き活動することを(クーデター政権から)認められた」という声明を発表したときには本当にホッとした。このままタイに帰れなくなるんじゃないかとか、帰ったら拘束されるんじゃないかというような事態も何となく想像したし、S君ももちろんそういうことを心配したに違いないので。なんか結局、開発とか何とか言ってみても、実際のところタイの将来とかいうのはある意味どうでも良くて、友達とその家族の都合が(ひいては、自分の個人的都合が)自分の中では優先されるんだなと実感した瞬間でもあった。
それにしても、事態が平和的に推移したのは不幸中の幸いだったとはいえ、タイほどの国で今回のようなことが起きるとは衝撃である。タクシン政権の功罪というのは確かに色々とあるのだろうが、プミポン国王も高齢であり、今後何十年も国民の彼に対する敬愛に依存し続けることは実際上不可能である中で、今回のような政治的対立を民主的手続で克服することができなかったという事実はこの中進国に少なからぬ禍根を残すことになろう。特に国王がクーデターに事実上のお墨付きを与えてしまったことは、タクシン政権の支持基盤であった貧困層に「国王に見捨てられた」感覚をもたらすことになりかねず、プミポン以後のタイで階級対立が先鋭化しないことを祈るのみである。その仕事は、スラキアット氏よりもむしろS君が担っていくことになるのかもしれない。


じゃあ、「友達の父親は国連事務総長なんだぞ!」と「友達はタイの首相なんだぞ!」はどっちが迫力があるかな?