Half A Life

Naipaulの「Half A Life」は約四日で読了。いつになく良いペース。
しかし・・・アイタタタ。こりゃイタイ小説ですぜダンナ。しょもない理由で結婚することになった父と母のいるインドの実家、留学先のロンドンとそこでのディアスポラコミュニティ、自分の著作を通じて知り合った妻の故郷であるモザンビーク、どこへ行っても「自分の人生」ではないと。そして最愛の妻を放っておいて放蕩に耽った挙句、「これ以上は『妻の人生』を生きられない」と捨て台詞を吐いてヨーロッパに逃亡ですかそうですか。
この不甲斐なさは・・・ちょっと正視できない。しかも文化的民族的文脈を無視してより「一般的なテーマ」としてこの小説を読んでしまうと―――そしてNaipaulの力量はそれを十分に可能にしていると思うが―――主人公Willieの中には、少なからず自分の姿が垣間見えるではないか。鬱。「A Fine Balance」は話の悲惨さに鬱になったが、あくまで他人事。今回は話の重さというか、内容自体に鬱・・・
卑近な例だが、「カイジ」の利根川の台詞を思い出したね。
「現実が本当の自分であるはずがない。ゆえに30になっても40になっても奴らは言い続ける。自分の人生の本番はまだ先なんだと。そういい続けながら結局は老い、死ぬ。その間際に気づくだろう。今まで生きてきたすべてが本物だったことを。仮に生きていなしし、仮に死ぬこともできぬ。問題はそのことに気づくかどうか。それがこの世で成功するかどうかの最初の別れ道。」
しかしこの小説には続編あり。中年になったWillieがインドに戻ってどのような道を歩むのか?「Magic Seeds」も読むしかないな、こりゃ・・・