A Fine Balance

「葬送」全四巻(文庫版)を読了して平野啓一郎マンセーエントリを書こうとしていたのだが、その興奮も醒めやらぬうちに読み始めたRohinton Mistryの「A Fine Balance」があまりにも凄すぎて英文600ページをこれまでにないスピードで読み切ってしまった(いかにインターンシップ生活がヒマかということでもあるな)。
亡き夫の思い出と周囲からの再婚へのプレッシャーを振り切って自活への道を探ろうとする未亡人、血なまぐさいカースト暴力を逃れて街に流れついた仕立屋とその甥、親の期待を背負って山深い故郷から大学で学びに上京したものの学生運動のうねりに巻き込まれる若者、数奇な巡り合わせから共同生活を始めることになる彼らだったが・・・
読後感どよーん。なんせインドですから、ね。しかし主人公達も彼らを取り巻く脇役も自然で魅力的で、愛おしい。街を歩く際の目線が変わる。
まあ小説一冊で何がわかるか、という話ではある。しかし初めてのインド滞在中にこの作品を読んだというのは今回の大きな成果の一つだと言っても過言ではないくらい。インドにいると人間の命の安さを実感できる。ヒューマニズム的に「安いけど、それぞれにかけがえのない命」というベクトルはよく語られ、また規範的にもそのように考えようとするものだが、「それぞれにかけがえはないんだけど、やっぱりどうしようもなく安い命という現実」というベクトルを、それが最も生々しく現れた近現代インド社会という場を借りてすっぱ抜いた作品とでも言えようか。
あと、日本人的には遠藤周作の「深い河」と併せて読むと不思議な時間感覚に襲われる(とbroadmindは思う)。テーマは直接絡まないが、両方を最後まで読むと、「深い河」のツアーが実施されたまさにその時期に・・・まああとは読んでのお楽しみ。


この読書モメンタムを失いたくなかったので読後すぐにまたNaipaulの「Half a Life」を読み始めたが、MistryとNaipaulの比較というのも面白い。Mistryの登場人物は本当に平凡な人達で為す術もなく時代に、そして世の中に翻弄される。Naipaulの方が登場人物にステイタスやら才能やらがあって、自らの主体的な選択の余地がある(まあ選択したところで多くの場合悲惨な結果になることには変わりがないのだが)。一方でNaipaulは登場人物に興味深い「逸話」を語らせるためにやや不自然な人物設定や人間関係が描かれるきらいがある。その点、Mistryの方がキャラクターや流れが自然だ。そして、時代に流される人間の生き様から「文明」「アイデンティティ」「コロニアリズム」といった、ともすれば大上段のテーマを抉り出そうとするNaipaulに対し、Mistryはリアリズムそれ自体を強調しようとしているわけではないだろうが、「アイデンティティの危機なんて高尚な話をする以前に、日常それ自体が危機」の世界を描き出す。インドは上流も下流も大変なのだ・・・。でもよく考えたらそれってインド(人)に限った話ではないのか。