國松長官狙撃事件再考

國松長官狙撃事件が時効を迎えた。
時効にも関わらず「オウムの組織的犯行」と警察が事実上断定したことが話題になっているようだが、メディアで流れている情報を総合するに、この事件の真犯人はやはり中村泰なのではないかとbroadmindは思う。
現場付近でどれだけオウム関係者が目撃されようが、謀議の痕跡があろうがそれらは状況証拠でしかなく、「何者かがホローポイント弾を使ってパイソンで國松長官を正確に狙撃し、瀕死の重傷を負わせた」というこの殺人未遂事件そのものの物証面からの立証があまりにも弱いからである。物証がある限りは、あくまでも物証から攻めるのが捜査の基本であるべきだというのがbroadmindの考えで、それはそのように徹底されていないと、社会情勢や世の中の「空気」によって組織犯罪がでっち上げられる危険が常にあるからである。だから、予防的な情報収集のためには公安の役割は重要だけれども、いざ暴力事件が実際に発生した場合には捜査において公安が主導権を握るのは危険だと思う。


話を國松事件に戻すと、ではこの事件で見え隠れするオウムの影は一体何なのかというと、私の見立てはこうだ。オウムはサリン等各種事件の強制捜査が行われる中で、攪乱の機会をうかがって國松長官を「監視」していた。そして、期せずして狙撃現場を目撃することになった。こういうことではないか。
オウム側にもテロの計画はあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。とにかく、オウムには少なくともその日に國松を襲撃する計画は何もなかった。あくまで國松の情報を収集している段階だ。
ところが、そこへひょっこり現れた中村が國松を狙撃した。
その後の動きは、予想外の國松狙撃を目の当たりにしたオウムの「狼狽」と「便乗」と思われる。
まず驚いたのは岐部をはじめとする現場付近にいたオウムの幹部である。自分はオウム関係者として面が割れている―いくらやってないと言っても、こんなところで身柄を押さえられたら犯人扱いに決まってる。とりあえずこの場は逃げるしかない―自転車で走り去る男や現場付近を車で通過した教団幹部はこうして目撃された。
しかも、國松が狙撃されたことはその場で知っているから、発表前にオウムがこれを把握していたこととも辻褄が合う。事件直後に報道機関に電話をかけたのがオウムの砂押光朗であることはほぼ特定されている。これをもってオウムによる犯行を確実視する向きもあるが、テロにおける犯行声明というのはそれ自体が捜査の撹乱を目的としている場合もあり、ニセの犯行声明などザラであることを考慮する必要がある(しかも、厳密に言えば砂押の電話は犯行声明ではない)。
当時の状況からすればどのみちオウムの関与が疑われることは確実な中で、彼らの最大の目的は「捜査を攪乱すること」であって必ずしも「自分達への疑いを晴らすこと」ではない。だとすれば、國松の狙撃を知ったオウムがこれに「便乗」して電話をかけたということは大いに考えられる。國松の監視に早川紀代秀建設省長官)が関わっていていち早く狙撃の情報をキャッチしていれば、早川がこのような判断をして建設省の部下である砂押に電話させるまでに一時間という時間があれば十分だし、電話をした砂押本人が実際には詳しい状況を把握していなかったとしても不思議はない。
なお、小杉は恐らく國松の監視において大きな役割を果たし、ひょっとすると彼も事件を目撃もしたのかもしれない。しかし元来が思い込みの激しい性格な上、洗脳や度重なる尋問の影響もあって記憶が混乱し、すでに自分でも何が真の記憶かわかっていない状態であろう。
とにかく、警察も世間も「オウムに間違いなし」という印象を持ったわけで、はたして「捜査の攪乱」という目的は大いに達成された。


さて、一方の「真犯人」中村。彼は「非常に頭の良いキチガイ」である。狙撃後は要領よく現場を離れ、犯行に使った拳銃は銀行の貸し金庫に隠した(開扉記録あり)。しかし、動機に関しては常人が推し量れるものかどうかはわかりかねる。警察権力に対する怨恨感情が非常に強かった彼であるから、ある意味で警察庁長官狙撃は常日頃からいつでも狙っていたのかもしれない。オウム捜査で緊迫している状況の下、オウム信徒に対する別件逮捕や微罪による連行が横行していることが警察への更なる怒りに火をつけたのかもしれないし、「テロリストとしての美学」があるらしい中村にとっては、無差別テロを繰り返すオウムに対する怒りもあったかもしれない。
ついでに言えば、中村も事件前に國松を監視していた痕跡があり、ひょっとすると中村はオウムも國松を監視していたことをも把握していた可能性だってあるのだ。となると、「テロはこうやってやるんだ!」とオウムに見せつけつつ、疑いはそのオウムに向けさせて自分は闇の中へ、という「ゴルゴ気分」があっても不思議はないし、そうした姿勢は彼の手記からも読み取れる。彼は手記の中で國松狙撃犯を絶賛しつつ、「オウムがやった」とも「自分がやっていない」とも断言していないのだ。一方で、自己顕示欲が強いながらも、証拠が挙がってもいない事件を「自分がやった」とすすんで言うタイプの犯罪者でもない。足がつかない程度に犯行をほのめかした上で、つまり警察関係者であれば彼の犯行だと確信する程度の情報を与えた上で、証拠がなければ墓の中まで持って行って警察をあざ笑う「キャッチミーイフユーキャン」なテロリストなのである。


そして実際、中村の関与が疑われながら立件できていない事件は数多い。その中には八王子のスーパー「ナンペイ」の三女性射殺事件も含まれる。
警察にしてみれば「中村が犯人と思われますが、証拠が足りなくて立件できません」などと大っぴらに言えるはずがない。パンドラの箱を開けるようなものだ。週刊誌の憶測記事程度で済んでいたものが、「警察はこの老人一人相手に連戦連敗でした」と世間に認めるようなものである。
どうせ同じ立件できないで恥をかくなら、オウムだということにしておいた方がいい。その構図自体にはもちろん誰も文句を言わないだろう。小杉には再犯の可能性はないし、実行犯の可能性がある端本はどっちみち死刑確実だ。「実行犯特定には至らなかったが、オウムに決まってる」・・・警察の面子を一番保てる「絵」はこれだ。


以上、妄想にお付き合い頂きありがとうございました。しかし有田芳生が同じ見解だと知ってちょっと自信を深めている今日この頃です。