蒲島知事誕生

なんか他のニュースにコメントしたりしているうちにすっかり時機を失してしまったが、一応書いておきたいので。


大阪とは全くもって対照的な知事が熊本に誕生した。蒲島郁夫。broadmindにとっては尊敬する先輩の恩師であり、またケネディ・スクールの大先輩にもあたる。まだ直接お会いしたことがないのが非常に残念でならない。正直言ってケネディ出身の政治家諸氏の中には(皆とは言わないが)あまり感心しない面々もいるのだが、能力、人格、経験いずれも申し分ない最強の先輩が満を持して政治の現場に出ることになる。今は中央政界に出るよりも知事をやった方が圧倒的に面白いはずなのでキャリア的にも大正解でしょう。
それにしても熊本県は知事に恵まれた幸せな県である。前の潮谷義子知事は全く官僚出身でないにも関わらず、大蔵省出とは思えない福島知事(当時)の大胆な抜擢で副知事となり、その福島知事の急死を受けて知事に当選、手堅く二期運営した。第一号のO田女史と違い、女性知事への信頼を全国的に大いに高めたはず。そして福島知事のさらに前は、言わずと知れた「殿」細川護煕である。ノック→太田房江→橋下某(ノックの前の官僚出身知事連もかなりヒサンサン)、と連なる某自治体とは比較にならない。大阪の停滞は歴代知事に責任あり、といえよう。東京も人のことはいえないが、まあ(経済的に)左であれば美濃部、右であれば鈴木都政はそれなりに評価され得るはずなので、90年代後半以降に目をつぶれば大阪よりはマシか(藁)
「高卒農協出身の東大教授」として話題になった蒲島氏。その経歴の詳細は各所で紹介されているので他に譲るとして、あの学歴偏重(というより東大歴偏重)の東大で、中でも「学卒助手」という怪しさ極まる制度の牙城であり、「東大法学部卒にあらずは人にあらず」という顕著な文化が存在する法学部が彼のような教授を迎えたこと自体、画期的なことだったろう。蒲島氏自身も東大着任当初は「東大法学部生を相手にする」ということにかなり緊張し、ゼミの学生に対してもどうしても構えるようなところがあったらしい。ところが着任後しばらくして、ゼミ旅行で泥酔して宿の階段から転落してしたたか顔を打った氏を(学生に対して構えてるなら教授がゼミ旅行でそこまで泥酔するなよ、という突っ込みはさておき)件のbroadmindの先輩が夜通し看病してくれたのに翌朝気付いて「その時から東大生のことが好きになった」旨のエピソードを著書で紹介している。(なお、文藝春秋に寄せた別の文章では、その後のゼミ飲み会で今度はこの先輩の方が泥酔し、「カバちゃん、もっと飲もうよ」と氏に絡んで周りの学生が凍った、というエピソードも紹介されている。東大生云々よりも、単に酒飲み同士が惹かれあっただけなのではという気もするが・・・)
蒲島氏のキャリアの話にクルリンパと話を戻すと、ハーバードで学位取得後日本で最初に職を得たのは筑波大学であり、画期的な人事とはいってもワンクッションおいてからというところはリスク回避的というか抜け目ないというか、まあ東大というのも中途半端に保守的な学校である(苦笑)。ちなみにbroadmindのかつての指導教官もかなり特異な経歴の持ち主だが、彼もアメリカで学位取得後、東大で職を得る前にしばらく某私大に勤務していた。「非東大出身、日本で際立った学歴なし、海外学位取得」というメインストリームから外れまくった人間が直接東大で(准)教授ポストを得られるようになると、あの象牙の塔ももう一皮むけるように思う。


まあ何はともあれあれだ。故郷の熊本県に最高の形で錦を飾った蒲島センセイの益々の活躍に超期待。