割り箸事件

そういえば先週、99年にあった医療過誤事件の判決が下りました。割り箸がのどに刺さった保育園児が死亡したことをめぐって園児の両親が医者と杏林大病院を訴えていた民事裁判で、判決は「医者の診察に過失はない」というものです。担当医が刑事責任を問われた刑事裁判の一審では医者の過失を認めた上で延命可能性がないという理由で無罪判決となっており、検察が控訴して現在も控訴審が続いています。
この判決、事件当時のセンセーションの割に、ニュースでの扱いが小さいように思ったのですがどうでしょうか。また、医者の過失の有無に関して刑事と民事で判断が分かれており、そういう意味でももっと掘り下げられて然るべきと思いますが。その後の医療崩壊の現実を前にして、メディアもこの種の事件の扱いに遠慮がちになっているのか、単に医者の過失が問われない判決になったため、ニュースバリューを見出してないのかよくわかりませんが、社会的責任の決着は法廷でつけるべきところ、煽るだけ煽って最終決着はフォローしないというメディアの不治の病がここにも現れています。
この件に関する限り判決は妥当なものと個人的には思いますが、遺族が民事訴訟を起こす自由は当然にあります。本件で問題とされるべきは、「刑事訴追がそもそも必要だったのか」ということ、「遺族のエネルギーが告発・訴訟に向かうに至った経緯、心のケアも含めて遺族が必要とする専門知へのアクセスが(当事者である杏林大病院以外に)あったかどうか」、「事件当初のメディアの報道姿勢が妥当であったかどうか」といったことでしょう。医者の世界が閉鎖的であるのは厳然たる事実で、もっと批判的に取り上げられるべき医療過誤事案はいくらでもあるはずなのですが、本件や大野病院事件のような「医者対世間」の不毛な対立を煽るだけの事案ばかりをどうして検察やメディアが取り上げたがるのか不思議でなりません。