マーラーが理解できないわたくし

後輩だか友人だか数回会っただけのメル友だかよくわからないxedos氏がはるばるボストンまで遊びに来てくれたので、子供が産まれてからご無沙汰となっていたボストン響を聴きに行って来た。しかし、彼も忙しい人なので日程の都合上仕方ないとはいえ、曲目がマーラーの3番。マーラー。まず聴かないし、聴いても通しで聴くことはありえない。しかも、好きでない作曲家の曲が曲目に入っていても他に好きな曲が入っていれば救われるが、よりにもよってマーラー3番ともなれば、100分間マーラーのみということである。しかしクラシックファンのくせにあまりにもマーラーを聴いたことがないので、食わず嫌いはいけない、こういう機会にいいオケで聴けば認識も改まるかと期待半分不安半分で出発。
ところが、シンフォニーホールの中を見たいと彼が言うので早めに待ち合わせた(かつバスがすぐに来たのでそれよりさらに早く着いてしまった)のに、開演直前になってもxedos氏が姿を現さない。携帯にかけても反応なし。おいおい。まあ自分の人間性としては待たされることの耐性はかなりあるし、ボストンのインフラをナメてると外出先から予想外に時間がかかって遅刻はありえるんじゃないかとは思っていたが、あんだけ言ってたのに待ち合わせどころか開演に遅刻はねーだろ。何かあったのか、と腹立ち半分心配半分でホテルに行ってみる。フロントから部屋を呼び出してもらうがこれも応答無し。むむむ、どうしたものか、と思っていると携帯に電話。どうも時差のせいか部屋で死んでいた模様。しょうがないやつだな。ということで遅刻してホールへ。第一楽章はパスして休憩後の第二楽章から聴く。
しかし、寒空の下で待たされたのは腹立たしいが、演奏会自体は後半のみでちょうどいいくらい。レヴァインtheハンプティ・ダンプティの調子はまずまず(推定)で、演奏に特に難があったとは思わないが、端的にマーラー100分間には耐えられない。かつてのエントリで書いた通り、例えば普段ショスタコビッチは聴かないし好きでもないけど、やっぱりボストン響の演奏で聴くと凄いものは凄い、という鮮烈な印象を受けたのだが、マーラーに至ると、演奏途中で飽きてきて、ティンパニ×2セットの音程調節の様子を観察しちゃったりとか、もう集中力が続かない。第二楽章第三楽章ではさすがの金管の安定度、日本のオケでトランペッターにあそこまで頑張らせたら死人が出ちゃうんじゃないかと思ったが、第四楽章の見所はレヴァインが小さく見えるほどのメゾソプラノおばちゃんのガタイで、第五楽章の見所は少年合唱団で、第六楽章の見所はティンパニ×2セット(以下略)。
例えばワーグナーが好きとか、ショスタコビッチが好きとか言われると、自分と趣味は違うけど多分こういうところが好きなんだろうなぁ、という推測レベルでの理解はできるのだが、マーラーは依然として何を良いと思えるのか理解できないと思う今日この頃、いかがお過ごしですか?