法治でも人治でもない国ニッポン

特に金融政策や産業政策に絡んで、アメリカの政財界から「日本はrule-based systemでない」という批判がなされることがある。一体何をいいたいのか、金融業界で働くまで自分には意味がわからなかった。一般的な日本人の実感としてはむしろ逆じゃないかという印象を抱くのではないだろうか。ましてや、アメリカ生活を経験してみると、日常生活に関する限り、日本の方がrule-basedでない点はほぼ皆無に等しい。電車やバスは時間通りに来ない、警察の適当な取締りと手続きには埼玉県警もビックリ、役所に行っても窓口の担当者によってころころ変わる対応etc、アメリカのどこがrule-based systemなのか?というのが偽らざる感覚である。
では、アメリカが例によって自国企業進出のために事実無根の言いがかりをつけてきてるのかというと、それは否、だと思う。日常レベルでは極めてルーズで一貫性を欠くアメリカだが、ことが金融やら産業政策に絡んで意思決定が重要なものになればなるほどrule-basedになり、かつ透明性や説明責任が求められる。また、そうでなければ政府や公的機関はすぐに批判にさらされ裁判沙汰になる(但し貿易関係では政治家の介入でしばしばワケワカランことを言い出す傾向があるが)。
これが日本では事情が逆で、日常ではむしろrule-basedが徹底されているにも関わらず、重要な意思決定になればなるほど、例えば官僚に裁量があり、そこに政治家からの介入の余地があり、決定過程や基準がブラックボックス化する傾向がある。いや、正確には「あった」だと思っていたのだが。
何故こんな話をするかというと、日興コーディアルの上場維持決定である。金融庁東証の意味不明な裁量は今に始まったことではなく、憤っているのはなにもアメリカ人ばかりではなく日本人でも心ある金融関係者はそういう気持ちだろうが、too big to failならぬtoo big to punishとでも言えばいいのか、悪質な粉飾決算にも関わらず「日興故に」としか思えない今回の決定。あらためて日本の金融インフラが全くrule-basedでないことを世界に露呈してしまったわけで、シティ側のリアクションはまだわからないが、これはアメリカ様が言うか言わないかの問題ではなく、日本は金融途上国ですと自己主張しているようなものだと思う。
例えば中国も全くもってrule-basedではないだろうが、中国といえども今後は変わっていくだろうし、そもそもあのお国は「法治ではなく人治」だという共通了解みたいなものがある。はっきりいって極端な話、汚職がはびこってようが民主主義で無かろうが、ビジネスでは「誰が何をどうやって決め、それが実行されるか」どうかが問題なわけで、方向性とカタのつけ方さえわかれば、例えばGSにとって中国で仕事をすることに障害はあまりないのだろう。困るのは、中国より20〜30年は先に行っているべき日本で、「○治」の○に入るのが何なのかわからないということなのだ。rule-basedでないだけでなく、東証の意味不明の説明以外になぜこうなったのか知る術がない。恐らく一般人に知らされないだけでなく、プロにもわからないのではないか。それこそ、どこぞの「大人(たいじん)」が決めたわけでもないんだろう。こういう無責任体質、かつ裁量でルールが曲げられるぬぐいがたい傾向こそ、ひょっとすると歴史認識以上に日本を再び誤った方向へ導きかねない悪い体質だと思う。