Momofuku Ando

ちょっと前の話になるが、「インスタント麺の生みの親」安藤百福氏が亡くなった。その追悼記事が先週号のThe Economist誌にまで載っていた。「何世紀にも渡って人々は東洋の生命、健康、幸福の秘密を探ってきた。しかし、実際にはそのために半裸で山を登る修行をしたり、何時間も瞑想したりする必要はなかったのだ。ただ、『フタを開けて、お湯を注ぎ、三分待って、よく混ぜて召し上がれ』これでOK。それを我々に教えてくれたのがMomofuku Andoだ!」てな感じで、軽い調子ではあるが、彼の発明が全世界に与えたインパクトについての敬意と賞賛に溢れた追悼文である。05年には全世界で860億食(!!)のインスタント麺が消費されたという。
03年秋から放送されたNHK連ドラの「てるてる家族」を見た人ならご存知と思うが、安藤氏は自宅裏でほとんど独りで研究を重ねてインスタント麺を開発したそうだ。これはほぼ事実に基づいているようで、なんでそれがわかるかというと、broadmindの母は当時池田の小学校に通っていて、その頃はまだ「呉百福」を名乗っていた近所のけったいなおじさんが自宅裏の掘っ立て小屋で一人で「お湯をかけるだけでできる麺を開発する!」と息巻いていたのを母が何度も目撃しているからだ(ついでに子供が同級生だったかも)。その後母は祖父の仕事の都合で東京に引っ越してきてしまったのだが、「チキンラーメン」が爆発的に売れ出したのを見て、「呉さん、ついにやったんや!」と一家で話題になっていたという。
ちなみにどうでもいいことだが、母方の曾祖母は熱海に家を持っていて、戦後すぐの頃はその近所に「八百半」という八百屋があったそうだ。当時は本当にごく普通の八百屋だったらしいが、これがのちのヤオハンである。うちの一族はぁゃιぃ経営者と縁があるのかね。
さて、インスタント麺。broadmindはもちろん米も好きだが、ご存知の通りとにかく「麺・麺・麺」な人間であるので、インスタント麺の存在なしに自分の食生活は考えられないし、ましてや海外生活を生き抜くことなど不可能である。イギリスに住んでいた6歳の頃、現地の小学校の激マズ給食にガマンにガマンを重ね、家でたま〜に食べられる中華三昧の旨さに感動したものだった。中華三昧は残念ながら(?)日清食品の製品ではないが、20余年を経てアメリカ生活をする現在も大変お世話になっている。正直、トヨタソニーが存在しなくても(これらの会社が存在しなかったことによる日本経済への間接的影響は別として)自分の人生に重大な影響はなかったと思うが、安藤百福日清食品が存在しなかったら自分の人生は存立しないといっても過言ではないわけだ。その全ては、母の実家の近所にあった掘っ立て小屋から始まった。

The three saying of Mr Ando became a philosophy of life:
Peace will come when people have food.
Eating wisely will enhance beauty and health.
The creation of food will serve society
The Economist誌追悼記事より引用)

これも立派な「国際開発」だなぁ。心の底から尊敬する。戦後の総括みたいな話も、こういうところから始めるべきだと思う。もちろん、personalなレベルでは、安藤=呉氏の出自というのも避けて通れない話でしょう。ウヨクな人達は彼が台湾出身だということだけで無かったことにしちゃうのかねw