「驚異の新人、ミハエル・シューマッハ」

broadmindがF1を見始めたのは91年のイタリアGPである。当時中学の同じサークルにいた友人M本とM沢(うち一人は現在でもすぐにこのブログを読む可能性あり(笑))がF1キ○ガイで、彼らの影響を受けてF1つーのはそんなに面白いもんかいなと見てみることにしたのだった。当時はセナの名前くらいしか知らなかった。
なぜイタリアGPであることをちゃんと覚えているかというと、タイトルのフレーズが自分が唯一、このレースで覚えている内容だからだ。前戦のベルギーGPでこれもF1参戦一年目のジョーダンを駆り、いきなり予選7位という衝撃的デビューを飾ったシューマッハは、次戦からベネトンにこれまた衝撃の移籍をやってのけ、トップドライバーへの道を駆け上っていくことになる。活き活きと走る若きシューマッハに対し、ベネトンのシートから押し出されてジョーダンに移ったロベルト・モレノは痛恨の一週目リタイヤ。「シューマッハってのは出てきたばっかだけどすげぇんだ」ということと、驚異の新人の出現でシーズン途中でもいきなりシートを失って転落していく競争の厳しさ。自分にとってのF1は、まさにシューマッハのデビューとともに始まった。
翌92年はbroadmindがF1を一番熱心に見た年だったかもしれない。当時はシューマッハのチームメイト、マーティン・ブランドルの大ファンだった。一発の速さでは敵わなかったが、安定性ではブランドルが上回っており、しばしばシューマッハをも凌ぐパフォーマンスを発揮して何度も表彰台に登っていた。しかし、デビューからちょうど一年のベルギーGPでシューマッハは初優勝を飾る。天候が目まぐるしく変わる複雑なコンディションで、シューマッハとブランドルはほぼ同じペースで走行していたが、ちょっとしたタイヤ交換のタイミングのアヤでシューマッハが勝つことになった。ブランドルはリタイヤ率が低かったにも関わらず、カナダGPでもシューマッハ及び優勝したベルガーを上回るペースで走行していながらこの時に限ってマシントラブルで優勝のチャンスをふいにしている。要は、勝つことを運命づけられている人間とそうでない人間の差。「運」という一言で片付くものではない。そういうものをこの年のベネトンでは見せつけられた。ブランドルはついに、F1で1勝もすることができなかった。
各スポーツのトップやカリスマに対しては好き嫌いがはっきりするbroadmindにしては珍しく、自分自身は一貫してシューマッハの特段のファンでもアンチでもなかった。ただただ、「好きでも嫌いでもないが、最初から勝つことが決まっている、運命づけられている、かつそれに見合う努力も払っている人間」というのが彼に対する印象である。自分にとってはF1=シューマッハであり、F1のタイトル争いというのはほとんどシューマッハと誰かのタイトル争いといっても過言ではなく、例えばセナの事故死は自分の青春の一ページを彩るほどの衝撃的な出来事だったが、こと「自分が見てきたF1というスポーツ」に占める位置を考える限り、セナがいなくても自分のF1は立派に成立するが、シューマッハのいないF1はF1ではない。なぜならば、broadmindは端的にシューマッハ抜きのF1というものを知らないし想像すらできないからだ。
そのシューマッハが、ついに引退する。え?まだできそうなのに?!という意外さと、しかし91年以降の自分のF1観戦キャリアを振り返っても、この消長の激しい、かつ危険な競技で15年間トップを走ってきたという異常さ。凄まじさ。逆算して考えると、シューマッハのデビューした91年の15年前というのは何と76年である・・・!76年といえばプロストすらまだデビューしておらず、ニュルブルクリンク旧サーキット(一周20キロ以上のこのコースがまだF1で使われていたというだけでも凄い)でラウダが瀕死の重傷を負い、「F1世界選手権 in JAPAN」が初めて富士で開催され、長谷見昌弘星野一義が世界を驚かせる快走を見せ、悪天候の中ラウダが自らマシンを降りハントがチャンピオンになった、そういう年である。そこからセナプロ全盛、ホンダ時代の91年までと同じだけの期間、シューマッハはひたすらF1のトップを走り続けてきた!!アロンソも立派なチャンピオンになるとは思うが、これほどの長期間、これほど安定して、これほど偉大な記録を打ち立てられるドライバーが今後自分の生きている間に現れるとはbroadmindには思えない。
いや、まだシューマッハの仕事は終わってはいない。84年最終戦、予選11番グリッドに沈んだニキ・ラウダは粘りと執念の走りで2位に食い込み、優勝した若きプロストを0.5ポイント差で抑えてチャンピオンに返り咲いた。この一戦で「チャンピオンとは何か」を身をもって教えられたことがその後のプロストに大きな影響を与えたことは想像に難くない。今回はシューマッハが自力でできることは限られているが、それでも例えばシューマッハがトップを快走しているだけで、アロンソは「リタイヤしたら終い」というプレッシャーを受けながら走ることになる。
「偉大なチャンピオンとは何か」セナの眠るその土地で、最後にシューマッハが何を残してくれるのか。ついにその日が近付いてきてしまった。