新しさについて

久々の東京は大変に過ごしやすく、飲み歩いているうちにあっという間に一週間経過。
しかし、この一週間で気になっていること。それは、本質的な「新しさ」に欠ける全体的な雰囲気である。ドラマを見れば、マンガ原作ものばかり。PS羅生門、CAとお呼びっ!、めぞん一刻も実写ドラマ制作の由。めぞん一刻は別として、「良い作品かどうか」よりも、「ドラマにしやすいかどうか」という基準で原作が選ばれているような気配なのも気になる。マンガ雑誌を見ても、渡米から一年経ってもあまりラインナップが変わりばえしないし、新作かと思うと「新約巨人の星」のようなオリジナリティに欠けかつ質の低い作品が散見される。
留学なんて今どき何も珍しくないし、自分たち夫婦も「新しい何か」のアウトプットを出すことを求められていながら全然(いや、妻は多少やってると思うが)結果を残していない立場なので、偉そうにこうした状況を難じる立場には全くない。それどころか、「恋から」や「エンタ」を久しぶりに見てそのマンネリっぷりをエンジョイしているのも一時帰国者たる自分なのだ。しかし、そうは言ってもやはり、マンネリズム、または新しい何かを産み出すパワーの欠如は社会にとっての憂慮すべき停滞であろう。
途上国から日本に戻ってくると、「よくこんな国ができたものだ」と素朴に、素直に思う。繁栄を築いてくれた先人たちに感謝、である(政治的な左右を問わず、日本人の若い世代にはこの実感が絶望的に欠如していると思う)。しかし、良くも悪くも、「新しい何か」を我々が、我々の子らが、継続的に生んで行かない限り、この繁栄は持続し得ない。この微妙な停滞感は何なのか。経済指標は比較的順調なのであるが、自分個人の進路も含め、どうもこの雰囲気が気になる今日この頃である。