ボストン響コンサート〜オールベートーヴェンプログラム

コンサート四回目にして、レヴァイン御大が初登場。broadmindが見たところ、ホルスト・シュタインと並んで最も人類から遠い体型をした指揮者であるレヴァインは以前にも増してハンプティ・ダンプティ化が進行し、ついに椅子に座って指揮をするようになっていた。それにしても手塚治虫の漫画にでも出て来そうな顔と体だ。何度見ても笑える。
本日のお目当ては、ベートーヴェン交響曲の中でbroadmindが最も愛する第七番。思えば、中学二年だか三年の時にカルロス・クライバー指揮の名演中の名演に出会ったことは自分の音楽人生に計り知れない影響を与えている。このクライバー盤は一体何十回、何百回聴いたことかわからない。今では第五番の、これまた歴史的名演とカップリングされたリマスター版が廉価で手に入るのでこちらを聴いているが、この贅沢極まりない組み合わせのCDも間違いなく、自分の「無人島に持って行く一枚」候補の一つだろう。いずれにせよ、ボストン響のコンサート、それもハンプティ・ダンプティといえども当代きっての名指揮者であるレヴァインの指揮でこの名曲を聴くことができるとは、はるばるボストンまで留学した甲斐もあったというものである(おいおい)
演奏は素晴らしいの一言だった。あまり奇をてらうところのないオーソドックスな解釈だったが、第一楽章でのちょっと勿体をつけたような美しいオーボエのソロ、失礼ながら日本のオケではあり得ないような各所での金管の使い方、クライバー盤も顔負けなほどの第三、第四楽章の疾走感、と印象に残る点の多い演奏だった。また、「これまでに聴いたことのない音」に気付く場面もあった。これはCDでは拾いきれないような弱い音、ちょっとした解釈の違いで音のバランスが異なっているとこれまで意識していなかった音に気付く、といったことなのだろうが、あらためて生演奏の良さと、この期に及んで聴く度に新発見のあるこの名曲の奥の深さに感動した次第である。
しかし、不満点もいくつか。まず、第一楽章と第四楽章の繰り返しが省略されていた。当夜はただでさえ長いプログラムだったので運営サイドからすると仕方なしというところなのだろうが、第二番とか三重協奏曲とかどうでもいい曲で前半に時間を使いすぎるくらいなら、繰り返しありで第七番をじっくり聴きたかった。次に、一部の客のマナー。特に第一楽章の序章から第一主題に入る緊張の一瞬に派手に咳をしやがった奴!咳を我慢してお前が悶絶しようがどうなろうが俺の知ったところではなく、とにかくそこは咳をするところじゃない。例え一族郎党を将軍様に粛清されようと、そこで咳をすることはなんびとたりとも許さない。マジで死ね。氏ねじゃなくて死ね。ついでに、第二楽章が終わったところで帰った近くの席の夫婦。予定があって最後まで聴けないなら、曲の途中で抜けずに休憩中に帰れ!お前らが超耳が肥えていて、当夜の演奏が不出来で我慢ならなかったということなら許す。しかし、第七番聴きに来て第二楽章までで帰る人間には最初から聴く権利がない。周りの客の迷惑だから来るな。