飾りじゃないのよ選挙権は

わたしは棄権したことがない〜♪(字余り)


そう、選挙権を得てからのこのン年、区議選だろうと何だろうと、これまで一度たりとも選挙を棄権したことのなかったこの私である。それが、今回のような注目の集まる総選挙に限って投票できないとは全くもって無念の限り。あれこれ調べてみたが、在外者投票は三ヶ月以上当地に住んでからでないとできないということで、住民票を移さないでおいて9月11日に一時帰国するというのが恐らく唯一の方法だったと思うが、さすがの私もそこまでする時間と気力と財力がなかった。
で、渡米した8月中旬にはそういう忸怩たる思いがかなりあったわけだが、海外生活のなせる恐ろしい業か、はたまた日本にいても同じように思ったのかは定かではないが、実はこの四週間足らずの間に、正直なところどうでもよくなってきてしまったのである。なんだこりゃ感、とでも言えばいいのだろうか、ここでまた「人として終わり留学生文体」を導入するとだ(笑)、「日本が、日本人がわからなくなった感」が満載すぎてボーゼンといったところだろうか。
これまで日本経済が大変なことになっていようと、何が争点になろうとウンともスンとも言わなかった低投票率。それが、経済は上向き、解散に至る経緯意味不明、中身なしで訳のわからない候補者が乱立する選挙戦、これでそんなに(まだ蓋を開けてみないとわからないけど、推定)投票率が上がっちゃうんですか?そんなにみんな郵政民営化に興味がありますか小泉自民党が好きですか?
羊羹氏が言っていたように「郵政民営化反対派には感情移入しにくい」というのはその通りだろうが、それが「棄権」ではなく「自民党投票」という動きにつながるとしたら、これは間違いなく新しい現象だと思う。まあ民主党のふがいなさ+選挙戦略のマズさをはじめとして色々と理由はあるのだろうが、社会的な閉塞感から来るリーダーシップへの渇望と景気回復感に基づく現状追認とが運良く重なった結果なのだろうとでも解釈しておきたい。本格的に景気回復して気持ちに余裕ができてきたら数年後にはまた違う結果になると期待。合意形成政治に飽き飽きしているのはわかるけど、リーダーとポピュリストの区別は容易ならざるものであり、独裁的な為政者の登場をうまいこと回避してきたのが戦後日本における議会制民主主義の特長の一つだったのではないだろうか?
なお、「人として終わり留学生文体」第四弾(?)として、「海外では日本は○○と思われている〜」を使いたい誘惑に駆られたことをここに懺悔(爆)