泡沫候補再考

先週号の週刊新潮に「元祖オカマ候補 東郷健サンはホームレス寸前」という記事が載っていた。内容自体は痛ましい話なのだが、一部で死亡情報も流れていただけに、彼が存命であることと消息を知ることができたのは嬉しかった。
と思っていたら、週明けには映画「ゆきゆきて、神軍」や所謂皇居パチンコ事件の犯人として知られる奥崎謙三氏が亡くなったというニュースが飛び込んできた。

思えば、「全国区の泡沫候補」というのは少なくなったものである。
小中学生の頃は、政見放送を見るのが楽しみであった。まだ幼くて純粋で、政治というものを真面目に考えていて希望を持っていたし、一方で泡沫政党が出てくれば東郷健赤尾敏といった個性的な面々がユニークな主張を繰り広げていた。
しかし、子供らしい純粋さと残酷さで「変わった人達」を見て面白がっていただけではない。今でも覚えているのであるが、太平会という泡沫政党があった。その政見放送を見ていたら、出てくるなり、長〜いヒゲを生やした見るからに怪しげな増田某という党首が手を合わせて「天皇陛下は神様です」と言ったのである。私は衝撃を受けた。何せ、日教組教育(笑)の下で歴史やら日本国憲法やらを勉強している頃である。選挙に出て、政見放送で真っ向から憲法に矛盾したことを言ってもいいのか?赤尾敏でもそんなことは言わないぞ。短い政見放送の最後で、再び手を合わせて「天皇陛下は神様です」。おぉ〜、言ってもいいんだ!共産主義を打ち立てると言おうが天皇が神様だと言おうが殺人者*1だろうが構わないんだ。自由な社会だから!確かに現実問題として議席は取れないだろうけど、それでもどうしても言いたいこと、訴えたい思想、伝えたい思いがあれば立候補すればいいんだ!これが民主主義なんだ!と熱く納得したのを覚えている。

実際に政治を生業としている人達の多くはこうした泡沫政党・泡沫候補の存在を苦々しく思っているのであろうが、一体そのうちどれだけの人間が、彼ら彼女らよりも真剣に、情熱を持って自分の政策なり思想なりを訴えていると言えるのだろうか。我々が大政党の候補に投票するのは、現実に政治を動かす上での(他に選択肢がないが故の消去法的な)常識的な判断をしているだけであって、候補者個人の能力なり人間性についてこれっぽっちも評価した結果ではない。その程度の評価にしか値しない人間が組織をバックにして出て来て(もちろん彼ら彼女らにはそれ以外に政治家としての何らの価値もないが)適当なことをしゃべっているのを見て、どうやって政治に興味を持ち理解しろと言うつもりなのだろうか。

とにかく、選挙の際の供託金をもう一度引き下げなさい。カムバック、泡沫候補

*1:奥崎謙三氏のことであって、宮本顕治氏のことではありません(笑)。このネタももはやどれくらいの人が理解できることか・・・