アフリカタウン in チャイナ

2004年に友人Aとエチオピアを旅行した。
エチオピア旅行自体も非常に思い出深いものだったが、エチオピアからの帰路に印象深い光景に遭遇した。そのことをふと思い出させてくれたのが、下記の日経BPのコラムである。

(前略)
さて、今回筆者は広州市に2008年11月13日夕方到着して、15日午後に白雲空港から帰国したのだが、このわずか2日間の滞在で注目すべき事実に驚愕した。それは「広州がアフリカ系黒人に占拠された」という事実である。この表現は誇張に過ぎるが、何しろ市内のあちこちでアフリカ系黒人を目にし、街角に屯(たむろ)する彼らを見るとアフリカに迷い込んだかと錯覚するほどである。しかも、彼らはアフリカの民族衣装や上着ジーパンのスタイルで、買い付けた衣類を詰めた黒いビニール袋を提げたり、野菜・日用雑貨の入った袋を抱えたりしている。どう見ても観光客ではなく、広州居住者の姿なのだ。
(中略)
運転手は広州駅から“環市中路”を走りながら、道路沿いにある「天秀ビル」や、壁面に「中国・アフリカ貿易センター」と書かれた「陶瓷ビル」、「登峰ホテル秀山楼」を次々と指さした。「どれも黒人たちの住み家だが、この周辺だけで3000人以上が住んでるよ。ほら、あそこにもあんなに群れてる」と歩道を指さす。確かに10人ほどの黒人が歩道を占拠して所在無げに立ち話していた。周囲の漢字看板が無ければ、ここが中国とは思えない光景。
(中略)
2007年末時点の統計で広州市の常住人口は1004万人となっているが、その実数は1300万人と言われている。一方、広州に居住するアフリカ系黒人の数は、統計上は2万人。しかし、その実数はほぼ30万人と考えられている。その数は毎年30〜40%の速度で増加していて、このまま進むと、2010年に広州で開催されるアジア大会以降はアフリカ系黒人が50万人に近づくことになるという。そうなると、広州市常住者の20人に1人はアフリカ系黒人によって占められることになりかねない。ここで重要なことは、現行約30万人と言われるアフリカ系黒人の内で、正規の滞在ビザを所持するのは統計上にある2万人より少ない10%にも満たない数だという事実である。90%以上はビザを持たない不法滞在の“三非人員”(“非法入境、非法居留、非法就業”=「不法入国、不法滞在、不法就労」の人々)なのだ。
(中略)
正式な滞在ビザを持つアフリカ系黒人の多くは、広州で衣類や日用雑貨、中古家電などを買い付けて彼らの本国へ輸出することで生活しているらしい。広州で買い付けた品物は、本国では2〜3倍で売れるので、儲けは大きいという。一方、“三非人員”たちは彼ら貿易商の補助者として、下働き、貨物の見張り、コンテナ積み込み、臨時雑用で「わずかな収入」(彼らにとっては大金)を得て生活しているという。“三非人員”が恐れるのは中国の公安警察だ。仲間の誰かが捕まったという情報が流れると、数日間は部屋に籠(こ)もって水とインスタントラーメンだけで過ごすのだという。今やアフリカでは、中国は金の成る国、誰もが行きたがるあこがれの国だ。捕まってなるものかと必死である。こうした訳で、先行した仲間を頼って広州入りするアフリカ系黒人はますます増加する勢いであるという。
(以下略)

不法滞在のアフリカ系黒人に“占領”される中国・広州市 「中国・キタムラリポート」2008年12月19日

一体このコラムがエチオピア旅行とどういう関係があるのか?それには、日本からエチオピアを往復するフライトのルートを説明しなければならない。この時のエチオピアからの帰国ルートは、アジスアベババンコクまでがエチオピア航空バンコクから成田がエアインディアwというものだった。
さて、このエチオピア航空のフライト、アジスアベバからバンコクを経由して最終的に広州まで行く便である。そう、世の中にはこんなルートの便が存在するのである。このフライトを選んだ際にbroadmindとAが当然の如く感じた疑問は、アジスアベババンコク→広州という便には一体どのような客層が乗っているのだろうか?ということであった。アフリカ東海岸、たとえばケニアあたりにはアラブ系もインド人商人も多く居住しているが、内陸国エチオピアからアラブもインドも経由せずにバンコク、そして広州へというルートとなると人の流れのイメージが浮かばない。とはいえ、自然に考えると、今やアフリカにわんさと進出している中国人やら、出稼ぎのエチオピア人やらが乗っているんじゃないか――そして、そういう客層がメインであれば、こんなマイナーなフライトがそんなに混雑してはいないだろう――そのように楽観的な(?)予想をしていたAと自分の予想を裏切る光景が、アジスアベバの空港では待っていた。
「なんだこいつら・・・?」
チェックインカウンターとイミグレの空き具合から楽勝ムードが漂っていた我々の前に忽然と出現した黒い人だかり。一体どこから湧いて出たのか、搭乗口に到着すると黒人が大量に並んでいる。しかし、「黒人」と一口にいっても、エチオピアに多いアムハラ系の顔立ちとはどう見ても全く違う。浅黒く、細面、細身で人なつっこい印象のあるアムハラ系に対し、大量に並んでいるのは大柄、ずんぐり、黒光り、ギラギラ系、どう見ても西アフリカ系のリアル黒人である。原色系の民族衣装を着た女性も多い。女性も、その多くが身長170前後の平均的日本人である我々よりどう見てもデカい。二週間のエチオピア滞在では決して感じることのなかった圧迫感と緊張感が我々を襲う。
もちろん、西アフリカ系の黒人だからなんだ――という話ではある。差別しちゃいかん。怖がる必要もない。しかし、これが「アジスアベバから広州行きの飛行機」において予想していた光景でないことは間違いないのだ。
理解に苦しみつつ搭乗口に並んでいた我々を、更なる驚愕の事態が襲う。後ろに並んでいた黒人女性同士が何やらしゃべっている。どうもbroadmindは知らない言葉のようだ。西アフリカ系の言語――ナイジェリア人とすればヨルバ語か何かか?などと妄想していた自分に、Aが小突いて耳打ちする。
「なんか、このオバチャン達・・・中国語・・・でしゃべってるみたいなんだけど・・・」
中国語・・・だと?最初は冗談かと思ったが、Aの眼は笑っていない。東洋史を専攻していたAは中国語がある程度わかるから聞き間違いや思い込みということはないだろう。そして、確かにフライトは中国行きではある。しかし、「西アフリカ系の民族衣装を着たどデカい黒人のオバチャン同士が中国語で会話している」という目の前で生じているシチュエーションが俄かには腑に落ちない。やっぱり中国が目的地なのか?いや、それ以前に、これって中国語・・・つまり中国語・・・が共通言語なのか・・・?

混乱する我々をよそに搭乗が始まった。満席である。我々を取り囲んだ西アフリカ人達は大声でしゃべり、歌ったりして騒いでいる。うむぅ・・・うるさい中国人乗客はある程度覚悟していたが、バックパッキングで疲れた体にこの西アフリカ環境はなかなかキツイぞ・・・。「これが本当の『East meets West (Africa)』だな」などという軽口も今一つ弾まない。
しかしこの状況が場違いだと思っているのはこっちの勝手な思い込みで、向こうは向こうで、どうも中国人ではないらしい黄色人種の我々に不思議そうな視線を向けてくる。そりゃそうだな。なんでこのフライトに日本人が乗ってるのかもワケワカンネーよな。彼らにしてみれば我々の方がよほど場違いか。もっともなことだ。
隣に座ったオヤジが話しかけてくる。日本人?韓国人?そういうあんたは何者だ。
「ナイジェリアからだよ!この辺りの仲間はみんなそうさ!」
やはりナイジェリアか。聞いてみるとポートハーコートあたりから来てるイボ人が多いという。どこまで行くんだ?
「もちろん広州だよ!決まってるだろ!あれ、あんたらはバンコクまでなの?日本人だったら中国の方が近くない?」
いや、まあ日本にはどっちみち帰るんだけどね・・・。みんなして広州に何しに行くの?
「買い付けだよ!時計、シャツ、電化製品・・・中国でたくさん買って、ナイジェリアに持ち帰って売るんだ!結構いい商売になるんだぜ!メイドインジャパンは質はいいけど、高いな!中国は安いぞ!ナイジェリアではメイドインチャイナで充分だ!」
なるほど。基本的にこれで謎は解けた。要は彼らは「空の担ぎ屋さん」。アジスアベバは単なる「ハブ空港」であり、彼らはナイジェリアその他西アフリカ諸国からアジスで乗継ぎ、中国へ安い工業製品を買い付けに行く集団だということだ。道理でアジスアベバのチェックインカウンターは空いていたわけだ。聞けば、エチオピア航空はエコノミークラスでも荷物が40キロまで認められているため、彼らのような用途だと運賃が割高でも*1ヨーロッパや中東経由よりお得らしい。確かにルートもよほどか直線的だしな。
いわれてみれば「そういうこともあるか」という通商ルートだが、しかし世界にはまだまだ知らない人の流れがあるものだと思い知らされた。西アフリカでも民族が違うと当然ながら言語も違う。ナイジェリアあたりだと英語ができる人も多いが、英語ができない人やフランコフォンの国の人とは簡単な中国語の方が話が通じることもあるという。うむむぅ・・・世界はそんなことになってるのか。アフリカ人が中国語しゃべってるとは完敗だ・・・(何がだ)。しかしこれは勉強になったな。
でもなぁ。次なる当然の疑問として「こんな貿易が商売になるアフリカってどうなのよ」ということが頭に浮かんだ。ずいぶんと高い交通費かけて、大層な精密機械でも何でもない、腕時計やら衣類やらを買いにわざわざ中国まで行くわけである。結構なマージンを乗せなければ商売にならないと思われるが、それが成立してるっちゅうことはアフリカには製造業なんて存在しないに等しいんやなぁ。オヤジの屈託のない笑顔を見ながら、中国の勃興に比べてアフリカの将来については暗い気分になった。
それが4年前。
で、話は最初のコラムに戻る。以上の体験談にお付き合い下さった読者諸兄姉は、このコラムを目にしてbroadmindがなぜ鋭く反応してしまったかご理解頂けると思う。4年前にアジスアベバからの機内でbroadmindとAが遭遇したのはまさに広州でたむろしているこいつらに違いあるまい。そして、広州は今やすごいことになっているらしいのである。中国「に」不法滞在。アフリカから中国「へ」出稼ぎ。いずれそうなるだろうとは思っていたけど、想像以上に早い。先進国から中国に製造業の生産拠点が移り、雇用も奪われる。しかし、中国もまた発展すればするほど、そこにはより貧しい人たちが寄ってくるようになる。
それにしても、である。さんざん世界中で中国人街を作ってきた中国人が中国の中の「アフリカ人街」に悩まされる日がやってくるとは。グローバリゼーションは巡る。4年前のあの日、広州行きのエチオピア航空機内で期せずして自分はグローバリゼーションの最先端に触れた。
最先端では、アフリカ人同士が中国語でしゃべっていた。

*1:エチオピア航空にはいわゆる「格安航空券」が存在せず正規の割引運賃となるため、運賃は全体的に他のメジャーな航空会社に比べて割高