諸君、私は日本の本屋が好きだ

突然だが、自分が海外から日本に帰国した際に一番愛国心を感じる、というか、あぁ日本は素晴らしいなぁ、と思うことの一つは本屋の充実ぶりである。まず、尋常でない本屋の数。小さな書店であれば大都市なら各駅にあるし、ターミナルに行けばほぼ間違いなく巨大な本屋が、それも場合によっては複数店舗ある。しかも、置いてあるのはほとんど日本語の本ばかりだ。さらに、(もちろん下らない本も多いが)さして大きな本屋でなくとも、新書をはじめ、それなりの知的水準の本もかなりの数扱っている。この認識がどれほど一般に共有されているかは知らないが、これは色々な意味で本当に凄い、誇るべきことだと思う。第一に、これは皆活字をそれだけ欲しており、お金を出して雑誌・書籍を買おうという知的好奇心があることの証左である。第二に、日本語は非常に複雑で習得が難しい言語であるのに、国民全員、と言って差し支えない割合の人間がそれを解しているという教育水準の高さを示している。第三に、専門的な内容の書物も含め、あらゆる活字媒体が日本語で出版されるほど、日本語による知的活動の厚みがあることをも意味している。
もう少し些末なことも言えば、洋書に比べると装丁の美しさも特筆すべきであるし、本のサイズがカテゴリーごとに統一されていて書棚が非常に見やすいことも優れている点だ。「規制」ではなく「規格」はしばしば消費者にとってプラスになる良い例だと思う。汚い装丁でわけのわからないサイズの本が並んだ外国の書棚は非常に見にくく、醜い。ことほどさように、海外から帰国してリブロやジュンク堂に行くと、「日本の本屋、マンセー!!」とでも叫びたくなることしばしなのだが、なぜ人々はこういう身近だが大事なことに愛国心を感じないで、(あえて極論すれば)どうでもいいような物語に愛国心を求めるのか理解に苦しむ。
もちろん、日本語の活字にしか触れないことによる語学能力の問題や、知的活動が世界の中で独りよがりになるといった無視できぬ多くの弊害もあるし、英語の専門書が欲しい場合も多いbroadmindにとってはこの書店環境は冷静に考えると必ずしも全面的にありがたいことではないのだが、それでもなお、世界に類を見ないこの書店事情は素直に誇って然るべきだと思う。


さて、フィリピン生活早々にこんな熱弁を振るう気になったのも、翻って、フィリピンの本屋事情というか出版事情が本当にひどいからだ。マニラという大首都の、それも中心の一つにいて、(規模だけは)大きい本屋がそれなりにあるのだから、どんなもんかと期待してしまうわけだ(broadmindは旅行先でも本屋は必ずチェックする)。ところが、である。巨大なモールに入っている本屋に行けば、店の大きさやこぎれいなインテリアに関する限り、一見それなりにちゃんとした本屋のように見える。しかし、その品揃えたるや本当に貧弱だ。まずタガログ語の本はほとんど見かけない。英語の本ばかり。コロニアルとかポストコロニアルとかいう言葉も時代遅れになりそうなのに、この国ではまだ母語出版ブームすら迎えていないのだろうか?
いやいや待て待て、ある程度教育を受けていればみんな英語もできるのがこの国のいいところだから、それに自分はどうせタガログ語なんてわからないんだからどこでも英語の本ばかり置いてあるのはむしろありがたいじゃん、と気を取り直そうとしても、英語の本も置いてあるのはほとんどはかなり軽い入門書・ハウツーものの類とせいぜい小説くらいのものなのだ。社会科学の専門書どころか、Business & Investmentなんていう棚を見ても浅薄なハウツーものばかりで「ウォール街のランダム・ウォーカー」すら置いてない首都の大書店というのは正直情けないの一言に尽きる。
日本と比べるのは色々な意味で酷だとしても、途上国内の比較でもレベルが高いとはいえない。例えば昨夏に滞在したインド・チェンナイではbroadmindは書店で何冊か専門書を購入した。自分がそれなりに質を判断できる分野で、おー、こんな本まで売っているのか、と感心させられるような本も何冊か見かけた。しかも輸入ではなく、国内で印刷している版で先進国の約20分の1の値段だから(でも海賊版じゃないよ)、そこまで裕福でないインド人でも成績優秀で奨学金でももらっていれば充分に手が届くレベルだ。チェンナイにいながらにして先進国と同様の専門書でハングリーに勉強してる連中がたくさんいるわけだから、優秀な人材も出るし、その中から結果的にインド国内で勉強したり一旗揚げたりしようという人間も増えて頭脳流出の防止にもつながるだろう。そこへ行くとフィリピンの場合、知的向上心のある人間は「この国にいることの限界」に早い段階で直面してしまうのではないだろうか?いやそれどころか、所詮は需要と供給の問題なのだから、そもそも知的水準の高い本を欲している人間が少ないということになってしまうのか?「国民性」みたいなものを裁くのは嫌いなのだが、ややもすればこの国の知的営為の水準に?をつけたくなる、そんな気分にさせられたわけだ。


いや、実際のところはマニラ生活も結構楽しんでいて、「フィリピン生活文句タラタラブログ」にするつもりはないのだが、品揃えが貧弱な本屋の中をイライラして行ったり来たりしながらあらためてこんなことを考えながら日本のありがたさを噛みしめた次第である。まあ、フィリピンへの文句というよりも「日本の本屋の素晴らしさ」が主題だと思って頂きたい。