フリードマン死去

自分のような人間にとっては熱っぽく書くことではないのかなぁと思いつつ、仮にも近代経済学(この言葉も死語だなぁwww)をちょっとは勉強してる人間として、ガルブレイスの追悼文書いてフリードマンはスルーというのもあんまりだと思ったのと、彼の死去に際しての日本のマスコミ論評がひどすぎるという情報が複数箇所から漏れ伝わってきたので一言。
経済学者としてのフリードマンの業績についてはほとんど議論の余地がない。フリードマンが超一流の経済学者であることを認められない人間は多分、彼が何をしたか知らないか、教養レベルのマクロ経済学を(PIHはミクロ的基礎であるのでひょっとするとミクロも)理解していないかのどちらかである。
しかし、マクロ経済運営について「マネタリズム」の提唱者であることと「構造改革の理論的支柱」であるかのごとく言うことにはかなりの違いがあるわけだが。社会思想家としての彼はほとんど単純な経済自由主義であらゆる問題を斬っているだけで、「ある日誰かが宣言すると歴史も制度も組織も政策も全てなくなってまっさらな資本主義自由経済が誕生するならひょっとするとあなたの言うことは正しいかもしれないけど、とてもじゃないがそんなこと検証不能だしそもそも誰かがそんなことを出来ちゃう社会って全然自由じゃないよね」とでも突っ込むしかないようなかなり電波に近い思想だと個人的には思っている。その点、同じ自由主義の雄であるハイエクには哲学的な奥行きを感じる(逆にハイエクの経済政策は現在までにはout of date)のだが、フリードマンの方が「声が大きく、より電波がかっている」のでいきおい批判・反発も大きくなるのは自然の理だろう。
でもそれって「『バカの壁』なんて書いちゃったから養老孟司は解剖学者としてもダメだ」とか「中東問題で電波飛ばしてるからチョムスキーは二流言語学者だ」とか言っちゃうのと同レベルで、要は本業の評価とは関係のない話である。彼がノーベル経済学賞を受賞したのは当たり前で、授賞式で「帰れ!」とか叫ぶのは全くもって筋違いなわけである。だから、死去に際しての論評としては「経済自由主義の立場から積極的に発言した」とでも書けば充分で、本来はもっとマネタリストとしての業績を挙げるべきなのに、賛否にかかわらず構造改革や小さな政府みたいな話しか出てこない日本のマスコミの論評を見ると、あらためて「こんな認識の人間が何百万とかの読者がいる、世論を大きく左右しうる経済記事を書いちゃっているわけね」という情けない気分になるわけである。
あ、フリードマンをダシにしてまたマスコミ批判になっちゃった。しつこいが、経済学者としてはとにかく偉大です。ご冥福をお祈りします。個人的には嫌いだけどwww